立原正秋(たちはら まさあき)

20年前に発行されていた「太陽」という雑誌、当時のどんな雑誌よりも私には洒落ていて。立原正秋の存在はテレビドラマなどの脚本で知ってはいたものの、その小説の作風とは異なる、器と食にこだわりきった、男っぽい生き様は20年前の私に少なからぬ影響を与えていました。自分の中の器と食に対する考えはこの人の影響を受け、固まっていったし、それが基本となっています。立原正秋、鎌倉、器、魚、静なる佇まいのある暮らしは、鎌倉でなければならなかった、最後の鎌倉文士と言われたゆえんでありました。

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着流しに「さかな」一見不自然なように見えるが、おそらくこのままの人だったのだろう。何かで貰うか買うかでひょいと持ち帰ったというような。。。

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今も心に残る言葉
「私に焼物を見る目があるわけではない。ただ、物事には最低の基準というものがあり、それが見えれば、私は対象を認めることにしている、といっただけの話である。」

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終(つい)の暮らしを鎌倉・梶原山の高みに「東ヶ谷山房」と名付けた住まいを建て過ごした。
鎌倉文士が文士らしく生きた最後の人。

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料理と器、池波正太郎さんの食に対する思い、小説の作風も好きですが、立原さんは自ら料理を作って、自からの美の世界の器を使って盛って食べたという、美観の極致まで到達した人、そこが惹きつける要素。

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この五目飯など、なんともまあ、うまそうでは。。。

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モノのあはれ、佇まいの美しさと食のあり方、何がどう良いのか、無知な自分を導いてくれた。

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結局、立原さんが歩いた後をトレースしているとも言える。何を思い何を見つけていたのだろうかと思いをめぐらして。

PHOTO:雑誌・太陽、他。