無位無冠の陶工、河井寛次郎展

夏がひと段落し、ようやく行くことが出来ました。

素晴らしいの一言。
言葉がいいです、どれも
76歳にして没するまで、その創作意欲が生涯枯れることはなかったという。
(写真撮っていいというマークの付いているものだけ撮影)

みんな若いですね、こんな頃から皆お洒落な人たちですね、だから民藝は優れたものになった。

この時代にこんな格好で産地を廻られて来たら、、、ブルジョワジーの何ものでもない、そしてバーナード・リーチの影響以外の何物でもない。柳宗悦(やなぎむねよし)学習院から東大の哲学科という、貴族のような人、この当時の常でイギリスからの影響が濃い。金銭的に豊かであったことは確かだが、それよりも知性が豊かな人達の集まりだっただろう、それらを含めてブルジョワジーと申し上げる。今の時代なんかよりも遥かに情報が少ない中でここまで高めて来るには、いろんな人との往来や各地に出かけて行くことが重要な要素であっただろうと推察できるが、何よりも旺盛な自己探求力がそれらを成し遂げさせたと言える。民藝という思想がブレないのはこう言う思想にしっかりした人たちが礎になっているからに他ならない。だから魅力的なのだ、今の時代にこれらを継承する人たちはやはり基礎を積み上げる必要をこれらの先人の足跡を見ていると感じる、あまりに表面的だから。特に河井寛次郎の歩いた道は尊い、京都で色んな高いレベルの仕事を見ているからこそ、色んな推挙を辞退しているんだと思うし、謙虚な自分があるのだろう、京都には沢山のレベル高いものがあるからそうなのだろう。河井寛次郎にとって京都で生きたことはとても重要だったと思える。

松下翁の話

やはり、寛次郎も良いと思っていたんだ、だからずっと自分の周りに置いていたという、瀬戸の馬の目。
濱田庄司のところにも確かありましたよ。濱田庄司は人間国宝、濵田が国宝となったのは、この陶工の世界に陽があたる為にも、と考えたらしいと言う、河合とはまた異なる思想があるようだ。
MWL STOREには現在の瀬戸の陶工が端正に作った「馬の目」があります。歴史を紐解けば、馬の目に、おひとつは是非。現代のカップ&ソーサーがいいですよ、秋には。

文化勲章、人間国宝への推挙も辞退し、ただ陶工として生きた。