投稿日: 8月 29, 2020

デザインモリコネクション展 開催中

カテゴリー: Liberal Arts

セラミックスタンダード・デザインモリコネクション展 MWL STOREにて開催中です。是非。

森先生、小田先生の意思をつないで良質でスタンダードな暮らしを日常に取り入れてみる。なぜこのデザインを創り、なぜこのデザインを世に推したのかを使うことで感じてみる、美味しい暮らしのそばには優れた創作があります。日常使いに強くて美しく、自分の好きなスタイルを選べる「お茶碗」。波佐見を世界へ導いたのはこれらの創作からです。

投稿日: 8月 27, 2020

小さな世界

カテゴリー: Liberal Arts
メアリー・ブレア、最も好きなイラストレーターです。アナハイムで初めて彼女の作品に出会った頃から、ずっと今も。
昔、札幌で彼女の回顧展があったときにわざわざ行って。大好きなレモネードを題材にした、名前もレモネード・ガールです。今もうちの中心にあります。だからレモネードが好きなのです。
ですね、It’s a small world です。コンセプトアートは彼女が全て手掛けました、ウォルトさんの彼女への理解と支持の下に。

ウオルトさんはプレゼンに長けた方でした。これはアナハイムのディズニーの開業10周年を迎えてこれからのディズニーワールドのプレゼンをしているわけです。ここからは想像ですが、スティーヴ・ジョブズ(アップルコンピューターのファウンダー)パロアルトの少年だったスティーヴは幼い頃にこのようなプレゼンを見て、脳裏に刷り込まれているはずなのです、彼の数々のタイミングにおける優れたプレゼンはこのウオルトさんのいろんな場面のプレゼンにとても良く似ている。影響を受けている。その幼い頃に脳に刷り込まれている原体験がピクサーという会社を生むことになったと僕は思って信じて疑わない。そしてその後のディズニーとの関係を思うと、間違いないなと思うわけです。日本でも私の小さな頃にディズニーランドという1時間番組をやっていたのです、プロレスと隔週の交互だったように、それも金曜日夜8時(我ながらよく覚えていますね、それぐらいに鮮烈に記憶に留まった)プロレスだから日本テレビ、宝塚では読売テレビと言ってました。そのディズニーランドという番組はディズニーアニメと動物のシリーズ、ナショナルジオグラフィックという雑誌がありますよね、あれの映像版見たいなのをすでにその当時やっていました。それがとても楽しみで、プロレスよりもディズニーランドがとても楽しみだったのを覚えています。そのテレビ番組としてのディズニーランドの始まりはやはり、シンデレラ城の上に上がる花火とピーターパンの妖精でスタートでした。このメアリー・ブレアさんのディレクション・ドローイングによるイッツ・ア・スモールワールドはアナハイムのディズニーランドで1966年5月28日に始まりました。東京(千葉・舞浜)にTD Lができるまでにまだ18年ほどあったわけですね。話は飛びます、その私がまだ小さな頃、宝塚には宝塚ファミリーランドという施設がありまして、イッツア・スモール・ワールドから影響を受けたアトラクションがあり、家がすぐ近くだったので、それによく乗りに行ったのを覚えています、もちろんそれはさらにスモールだったわけですが、その当時は京阪神急行電鉄、つまり今の阪急の経営だった。動物園、植物園、大プールがありました。そう、東宝の撮影所も、宝塚映画と言ってました、ゴジラシリーズとか若大将シリーズという加山雄三さんの映画を撮っていたようです、まだ小さい頃だったから親づてに聞いていた話の記憶ですがね。これらの体験はとても自分の形成に影響しています。今はその施設は全て無くなっていて、宝塚音楽学校などの歌劇の施設になっているようです。さらに想い出ですが、宝塚小学校では定期的に映画の観賞会というのがその頃ありまして、大劇場(宝塚大劇場、歌劇の舞台)で映画をみていたのです、生徒が全員で行く、それはウオルトの映画、眠れる森の美女、シンデレラ、、、、だったミッキーもあったのかも知れませんがどちらかと言うと、もっと物語もの、動物映画もあったかも知れませんが、眠れる森の美女の怖いシーンやシンデレラの悲しいシーンが怖くて見れなかったのを子供心に覚えていますね。今じゃ大劇場はそんな使い方はしないでしょうが。でもよくそんなことができたなぁって今じゃ思いますね、版権の問題とか大劇場を使うとか、日本が駆け上り始めた時代の象徴だったのかもですね。だから今でもメアリー・ブレアの絵には特別な感情があるのです。そしてイッツア・スモール・ワールドの歌にも。

世界的に例や類を見ないウォルト・ディズニーの本土以外での大成功は日本でのみだ。それにはテレビのディズニーランド、学校教育の場でのディズニーの取り組みの他の国にはない(中国やフランスにもディズニーランドはある)とても長い歴史が根底にある、日本の場合意味が違うように思う、だから成功している。それは戦前にはなかった日本のリベラルな精神、自由、平等、愛する、と言う人としての大事な心を、特に自由と平等というところ、愛は戦前もあっただろうし。その後に育って行く戦後生まれの子供達から広めて行った。占領を続けていたアメリカにとって、日本の根幹を再教育するための大事なコンテンツだったのかも知れませんね、結果としてね。

投稿日: 8月 27, 2020

美しい青山通り。

カテゴリー: Liberal Arts
久しぶりの青山。青山通りから赤坂御用地を美しく望む。いつも美しい、カナダ大使館の前。1年後ぐらいには上皇・上皇后陛下をお迎えして一部が仙洞御所となる、それを見据えて京都御苑にあった仙洞御所は2019年5月1日より京都仙洞御所と改称されています。仙洞(せんとう)とは退位された天皇の名称であり居所の名称。京都仙洞御所のお庭というか敷地は圧巻で、ランドマークデザインという庭園の全体設計を小堀遠州が行っています。小堀遠州とは茶の聖人の千利休、その弟子が古田織部、そのまた織部の弟子が小堀遠州なのです。日本の文化と密接なつながりを見せる、茶の世界。

投稿日: 8月 22, 2020

開校100年きたれ、bauhaus展

カテゴリー: Liberal Arts
東京駅ステーションギャラリー 完全にデジタル予約制、全くに密らずに見れました。でももう美術館のダブルヘッダーはやめよう、自分が見ることに集中するあまりに終わってみると疲れが半端ない。1日一本にしましょう。
ミサワホームのコレクションにびびりました。いいもんほとんど持ってますよ。会社の誰かが好きで、買い進めているんでしょうね。
ブロイヤーのワシリー。初代校長グロピウスの「すべての造形活動の最終目標は建築である」という言葉があまりに印象的。日本人のバウハウス好き。
後ろは東京中央郵便局のビル このあたりで一番形の良いビル。

投稿日: 8月 22, 2020

オラファー・エリアソン展

カテゴリー: Liberal Arts

清澄白河の東京都現代美術館 今様ダ・ヴィンチと称される。つまり天才ということか。会期は実際は変更になっています。当初の作った時のまま、こういうものもチケットも変更せずに使っています。えらい、いい判断。無駄をせずに。まだやってます、でも人気なので土日は避けた方がいい。

これ面白かった。
とても楽しみにしていました。よかったです。人の少ない平日昼間を狙って。

投稿日: 8月 21, 2020

夏の終わりに「ひまわり」

カテゴリー: Liberal Arts

大作「ひまわり」見てきたもので。。ガラスのジャー入荷です、アメリカのアンカー➕ホッキング社のガラスジャーとしてデザインが優れていると何十年も思っています。なんと今でもアメリカで生産し、再生ガラスを使用していますので、製造工程での型に入れての冷却をしますので、一見割れのような筋が、散見されますがそれは割れでなくて、製造工程上の「くせ」になります、ご理解ください。いずれにせよよくご覧になって納得のご購入をお願いしています。環境に優しい再生ガラス、ガラスは再生できますから。故にコスパが高いです。みんな見逃している製品だと思ってます。シリコンの縁もついてはいますがそれほど密閉性が高いものでもありません、アメリカ製の常ですね。でもいろんな用途には使えますよ、その性能や用途を理解して使うってことですかね。お願いします。

夏の終わりの「ひまわり」
キッチンを彩る要素として使うもよし。アンカーホッキング、ガラスのジャー。スタッキングもできますね、小さいサイズは、底の形状がそうなっていますよ。

Made With Love な製品を。。。

投稿日: 8月 17, 2020

南関そうめん

カテゴリー: Liberal Arts

熊本県玉名郡南関町の南関そうめん。これは特別です、すでに伝説。存在を知り、食し、とにかく・とにかくびっくりしました。完全手延べ、このコシの強さが、この細さで出るのかという。北原白秋先生愛好の逸品。先日の盛田の麺つゆに具沢山でいただきました。えもいえぬものです。明日も食べるなり。あぁ素麺よ。

Like No Other 

投稿日: 8月 16, 2020

ムッシュのおやつ

カテゴリー: Liberal Arts
シュークリーム作りました。黄身の濃い卵を使うとピンク色になりましたね、カスタードクリームが。MUJINA木工房・尾池剛さんのお盆、このふしを気に入ってます。MUDDY・服部克哉さんのマグ、お皿は村山朋子さんの父上、ぱいせん、白雲窯・村山光生さん。お茶は出雲の良識・西製茶のべにひかり紅茶、うまいんだなこれが。

投稿日: 8月 16, 2020

岡倉天心

カテゴリー: Liberal Arts

茶人、岡倉天心は中区本町、つまり開港記念館あたりであるが、の生まれである、横浜に深い関わりがある。そして私が茶に興味を持ったゆえんの人であります。東京大学出身。藝大の前身東京美術学校の第二代校長でもありました。その後東京芸術大学(登記上は”藝”でなくて”芸”であるそうだ、一般には権威のイメージを含めて”藝”を使うことが多いようだ。)の設立に尽くした人でもあります。茶と美術、海外との開かれた心の接点、横浜ならではの背景から生まれる先取の精神と日本の折衷な精神の礎(いしずえ)を作った人だと思っている。原三渓などもその一人。横浜には横浜らしい人がいるものだ。三渓園の茶室など含め、あるいは当時の茶の輸出の拠点であったであろう山下町周辺など、浅からぬ茶と横浜の関係、実は深い。横浜は「茶と美術」で活かすべきであろう。

ソーシャル保てる美術館以外はほぼ出かけることのない夏休みの課題。