湯町窯のスリップウエア

湯町窯のスリップウエア・フェザーコームのマグカップ入荷しています。(矢羽根模様/やはねもよう)
スリップウエアの始まりはメソポタミア文明を起点として、中東、中国、欧米など世界で焼かれた陶器の上に自然環境の動物や自然にある文様を手や道具により描き込んだものあるいはスポイト状のもので書き込み焼き上げたものです。その中でも17世紀のイギリスで作られたものがその名称で広く知られることになりました。手法としてはシンプルで作り手の特徴がとても出やすいものとなります。17世紀に始まり19世紀末には途絶えていた技法としてのスリップウエアをイギリスで再度蘇らせたのがバーナード・リーチの工房です。一方日本に於いてリーチはイギリスにおける特徴としてのガレナ釉の色を、島根県出雲地方の布志名焼(ふじなやき)などで使われていた黄色の釉薬に発見します。そして1931年の民藝思想の全国への普及伝播において「島根県工藝診察」と称した柳宗悦らの松江の工藝品視察を皮切りに以後、湯町窯を訪れていたのが、バーナード・リーチ、濱田庄司、河井寛次郎でありました。その時の出会いと指導を起点として湯町窯の洋食器、つまり新しい時代に対応した焼き物として民衆窯のライフスタイル的ものづくりが始まりました、エッグベーカーやマグカップなどはその代表作にあたりますね。度々とリーチは松江を訪れていて、特に湯町窯には都合7回も訪れています、その影響が大きいのは当然で、指導という目的のもとに訪れているわけはでありますが、その時代を想像するに、原田マハさん著の「リーチ先生」にも書かれていたようにリーチは決して全てを教えきるというスタンスではなく要所要所のポイントをしっかりと教え、あとはその地の特性を活かす創作として診ていたのがリーチではなかったのかと私感ではありますが想像します。つまり作り手の土地の背景や個人の創作性を生かしたものこそがその地に根付く民窯となると、、、
日本にもスポイト描きの手法に似た竹の筒で描く筒描きというのが存在していたので、指導されたものに遠くはなかったのではないかと想像します。
ということでリーチの湯町窯に対する並々ならぬ傾倒っぷりは、多分ガレナ釉に似た黄釉の発見にリーチの目が光ったのではないかと思うのです、やはり今見てもこれほど美しいスリップウエアはなかなかないのであります。そして作り手さんの創造するアーティスティックな表現センスこれが一番なのは言うまでもありません。
このモダンな表情と色、ブラウン、イエロー、ピンク、ブルーという縦のストライプにフェザーコームというかきこみ模様、鳥の羽のような模様からフェザーコームと言われる、簡単ではないのであります、熟練もいるのであります。そして取っ手名人が作る取っ手、リーチの教えでは取っ手は生えているように付けるということであり、その大きさも大きすぎるとグラグラしてバランスが悪く、小さすぎると手がマグにあたり熱い、丁度指一本が入るぐらい、というのがリーチの教えだったと言われます。日々の暮らしの中にあるアート。

PHOTOS:MWL STORE
FOLK ART by HAND