Jackie/Weekend of a Champion1971

70年代初頭のF1の情報は月に2回発行されていたオートスポーツという日本のレース専門の雑誌、それでしか情報はなかった時代。私のヒーローだったジャッキー・スチュアート、部屋にはジャッキーのポスターがたくさん飾ってあった。白いヘルメットにタータンチェックがトレードマーク、それほどスコットランド人であることを誇りにしていた人だった。

ジャッキーとチーム・ディレクター ケン・タイレルとの会話
この頃はすでにフルフェイスになっているヘルメット、ジャッキーは断然ジェットタイプの頃の方がかっこいいですけどね。ジャッキーと言えばジェットタイプというイメージが私は強いな。歴史上最強のF1エンジンだったフォード・コスワースDFV長い時代を席巻した。
ケン・タイレル、チーム監督であるディレクター、ジャッキーとともにチームを育てた、ハンチングがトレードマーク、ファッションが洒落ていていつも素敵だった。イギリスらしいスタイルをしていた人。チーム名の読み方は当時日本ではタイレルと言っていた、その後ティレルに、でもタイレルだと思うな。
チーム・タイレルの盟友フランソワ・セヴェール、天才と言われていた、先輩のジャッキーとモナコの走り方を話しあっている。
トレードマークのヘルメットと本当に青い目の瞳が魅力的だった
この年の前年には有望なF1ドライバーが5人レース中の事故でなくなっている、セヴェールもこの後73年10月にワトキンス・グレンでなくなった。F1ドライバーと死が隣り合わせになっていた時代、まだどのような自動車技術も追いついていなかった、そのスピードに対して、そんな時代だった。それはアイルトン・セナがなくなる時代まで続いた。フランソワ、笑顔の素敵な青年だった。だからF1レーサーの彼女や妻たちは、レースの始まる直前までクルマの横にいた風景が広がっていた、この1時間少しぐらいのレース中の無事だけを祈って、気が気でない時間を過ごしていたのだ。年間に転戦するレースごとに。
市街地を利用した難しいサーキットとして際立っていたモナコ、あのトンネルに突っ込んでいく、中が暗くて見えないコースと爆音が響く光景は今の時代もさして変わりはないが。クルマの安全性という点においては隔世の感がある。
オンボードで説明をするジャッキー、こんな映像は当時には出てこなかった、ずっと後になってから。今見て、ただ驚くばかりだ。
モナコのあるある風景から。フェラーリかな、ホイールからすると、カンパニヨーロのホイールっぽいから、黄色い色が絶妙だし、流れるようなファウストバッグな曲線、ロングノーズが素敵だ。イギリスには、ジェンセン・インターセプターというクルマが当時あって似ている。そして何よりも「Z」である、240ZGか432という、よりピュアなエンジンを積んだもののイメージ、432は吸収したプリンスの影響を受けた追浜の日産である。240ZGはアメリカ市場向けのものだったし、そのほとんどが。でもそういう意味で今回の「Z」はいいですね、妥協してない、デザインの日産の矜恃を示しているといえますね。