風神雷神のいわれ
風神雷神は風神を風や雨、雷神を稲光や雷鳴の自然現象を神格化したことが由来です。そこから江戸時代初期の画家である俵屋宗達著「風神雷神図」を書いたことが有名で、風袋から風をもたらす風神のお姿や太鼓をたたいて稲光と雷鳴をならす雷神の姿はとても迫力あるものです。
風神・雷神は、古代インドの自然現象を神格化した原初的な神々で、後に仏教に取り入れられて、仏法の守護や勧善懲悪を行い、風雨を調え、五穀豊穣をもたらす神と信じられるようになりました。
このイメージの原型となったのが、三十三間堂(京都市)の千体千手観音の守護神二十八部衆と共に安置されている風神・雷神像だといわれます。古来の自然信仰や伝説に基づいて造られた日本独自の像容で、鎌倉期、本堂の再建時に像造を統括した湛慶がその作成に深く拘わったとされます。この像の姿形が、江戸期になって、有名な俵屋宗達の風神雷神図(屏風絵)に採り入れられ、宗達の図を尾形光琳が写すなど、後世の風神・雷神の像容として定着したものといえましょう。三十三間堂さまのホームページ

上の引用などを見ていますと。芯になるようなものですよね、拠り所っていうんでしょうね、そういうのを。
他のあらゆる作家(陶磁器だけを言ってない、チョコレートなど含む)とのMWLでしか見れないロックなセレクト編集した陶器。それは清水にしか生まれない。安土桃山が終わり、江戸に変遷した京都の矜持を示したロック。三十三間堂はロックそのものだ。400年を問う。MWL STORE 店主

















