牛ノ戸焼

日本初の民藝店「鳥取たくみ工芸店」ができたのは1932年のこと。今から遡ること86年前の話、戦争の足音がそろそろ騒がしくなりそうな頃と言えます。ここから新作民藝運動が始まり、その一年後には柳宗悦などの後援を受けて「銀座のたくみ」が立ち上がっています。
その最初の最初に作られていた新作民藝の、現代(当時の)のライフスタイルに合う器の始まりが、この「牛ノ戸焼」の染め分け皿だったのです。そしてこの皿は現在までも脈々と作られています。私が全国各地にある民藝の中でも唯一、80年以上も前でありながらもデザイン化されたクリエイティブを感じさせるものであります。民藝の先達たちはあえてこういうクリエイティブの匂いのするものを良しとしなかったように思えます、「平凡の中の非凡を良しとする思想や風潮、知的感情」があったからだと思える。そのモードの視点を持ってあえてそれを選んだのが造り手でもない吉田璋也というプロデューサーだったのではないかと言えます。その人が特別にお洒落な人だったから、その発見が際立っていて、あらゆるものに対する感受性が研ぎ澄まされていた。染め分けるデザインの手法とその釉薬からの色の組み合わせ、特にこの緑と黒の兼ね合いがクリエイティブを際立たさせる、この手法を本業とするところは、今では牛ノ戸焼窯と中井窯の二つがありますが、その始まりは牛ノ戸焼になります。まあ、うちの宝ですね。吉田さんの視点は今でも私の先生ですね、あらゆる視点の。

TAMPICO LE STYLE

タンピコのバッグを初めて見つけたのは今から20年以上も前。
当時、パリで行われるメゾン・エ・オブジェという巨大な雑貨の展示会それに年に2回行っておりました、そこにブースがあり、シンプルで飽きのこなさそうなバッグだなぁというのが最初の印象でした、そして日本で大ブレーク。時間は経過して、、、
今また、新鮮に映るのです、昔とは形や色が現代にアップデートされているといいますか、よりナチュラル感を前面に出す感じがまた新鮮に映ります、つまりピュアです、用途にもよりますがナイロンバッグよりも、自分愛着が湧くと言いますか、バッグは一個じゃないので、その日のコーディネートで変えてしかるべきですし、何よりもこういう、シンプルでありながらも単純すぎてはいないバッグ、実はあるようであまりない、しかもフランスのエッセンスが効いている。やはり、今、新鮮なのはタンピコなのです。うちはベーシックな色と形しかやりません、ずっと持てるからです。