京都府舞鶴市のマデイさんを訪問、工房2階のバンドルームを見に。ムフフ


京都府舞鶴市のマデイさんを訪問、工房2階のバンドルームを見に。ムフフ
4月下旬から始まる、本年度の白雲窯展の打ち合わせにお伺いしました。とても素敵で美味しいお料理でお迎えいただきました。
器と料理の真なる世界観とはこういうことなのかと深く感動いたしました。
どうぞ4月下旬にご期待下さいませ。
この日のためにお作りいただいたLes Prairies atelier asako さんのお花をお持ちしました。いい色合わせだと思いません?春ですね、さすがです。今日は団子より花です。
昨日より京都に入っています。まずは何はなくとも伏見稲荷大社へ。昨年のお礼と今年の発展の祈祷をお願いしてまいりました。
阪神間においては、ファミリーの中の誰か、親、兄弟、子、孫、の誰かがこの2校のどちらかに行っていることが普通にある、あるいは一族のほとんどがということも。東京の大学は全国から人が集まるのに対して、少なくとも僕が育った頃は阪神間の地元の人が行くのがほとんどだったように思う。京都はそれが「同立」ということになる。
その関西の中でも、あくまでも関係者に限るのだが、「関関戦」は特別だったように思う、戦いは中学から始まる。今から50年以上前に中学に上がってすぐの頃に、学校から大学の関関サッカーの応援に行くように言われて行った記憶がある。西宮球技場のバの雰囲気は特別なものだった。(阪急ブレーブスの本教地、西宮球場でなくて、その横にあった球技場、京都の西京極には西京極球技場という同系のものがあった時代)規模がある程度の私学には高校からクラブ活動の種類が多い、当時から、その当時だとアメリカンフットボールが代表的だった。
そうい中高から対戦のある「関関戦」自分たち的には特別なものだった、燃え上がるのだ、あいつらだけには負けへんで、と。中には兄弟や親戚がいるわけで、余計に燃えあがたっりもするのだった。懐かしい。コロナの3年のほとんどは出来ていなかった、現役諸君の今年の「関関戦」の健闘を期待するものであります。
小さな湯の町「宝塚」おおTAKARAZUKA わがあこがれの美の郷。どこからでもすぐ泣ける、わが故郷の春の歌。育った背景のいつも近くにあった宝塚ファミリーランド、大劇場、植物園、動物園。私のクリエイティビティーの根源。春にはいつもこの歌を想う。
「色彩都市」も「街」も演奏されている。色彩都市は詩も曲も大貫妙子さんというすごさ。なんという詩が書けるんだろう。下の再生の横三角ボタンにポインターをあてると演奏曲の題と場所が出てきますよ。都会の街という視点において横浜にピッタリな歌だと思う、街がぎゅっとしているところがね。ピーラビはいい曲なのですよ、とても。
下の、この質の高い声、この透き通った声、正隆さんのソロの唯一のアルバムにおさめられていた、「荒涼」という曲、詩は松任谷由実、横浜ニューグランドホテルで結婚して間もない、曲は松任谷正隆。この曲は詩がいい、とてもね。大貫さんの透明感にあっていて、この曲は一度も自分の曲なのにユーミンは歌ってはいない。1977年に学校にバンドをやっていた友人が持ってきたレコードだったなぁ。
シティポップ、原型の姿
春から初夏のバッグが揃いました。夏バッグ、お買い求めは今の時期です。今年の一推しが並ぶ一番の時期だからです。リネンのブラウスやワンピースにぴったり。価格もお手頃で、何よりデザインと素材が気持ちいい。
人には見た目の重要性がある。それも思想のある服を選ぶということ。3年を取り戻しに行く。
入荷しましたが、あっという間に売れて、また残り一個に、でもまた入ってきます。