



パン作りました。新聞はお取引先さまから入荷した荷物に包まれていた新聞、偶然?僕の気持ちを知ってかしらずか、知らないよね、偶然でもその送られてきた箱の中から見つけることがすごい、ムフ。この記事は知らなかったなぁ。朝日の記事は怖い記事が多いので、最近あまり見ない。これはグッド!高齢のタンタンは直行便でないと体への負担が大きくてダメみたいです。ありがとうねタンタン。
アートスークール系の面影をまだ残していたこの頃、雨の歌にいいのが多いですよね。
先週のNHK BS プレミアムの『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』和食の話は面白かった。確かに違う視点からの話で、そうだったのー、でした。日本料理のユネスコ無形文化遺産登録のくだりの場面で、ユネスコのボードに対するプレゼンのお題が日本の対策メンバー間で紛糾し決まらない頃の話で、菊乃井の村田さんが話した熊倉功夫(いさお)さんが 口にした案、 「和食」にしようと。ローマ字でローマナイズして「WASHOKU」と書いたらいいんじゃないか、とのところの話がとてもよくて、ここで書くとすんなりですが、そうでもなくて、今の時期のいろんな他のことを思ってしまった。熊倉さんすごいな。こういうのを知見って言うんだろうなと思ってしまった、一発だよ、一発で決める。
来週は、一部の間で再度盛り上がりを見せる「向田」さんのアナザーストーリー。プレミアム系のモノ・コトの視点には必ず出てきます。きっと面白いでしょう。BSプレ火曜日21時
Posted on 1月 12, 2021
Posted on 1月 12, 2021
コペンでは急進的な対策に戸惑う市民もいるようだ。政治家は「市はCO2削減ばかり追っている」と批判する。節約やリサイクルは当たり前。新技術が投入されても、都市での生活は便利なだけでなく、我慢も強いられる。最先端の都市はそんな生みの苦しみにも直面している。日本の自治体も50年排出ゼロを目標に掲げ、デジタル技術を生かすスマートシティー導入を探る。だが、家庭とオフィスを中心にした都市での排出削減は前途多難だ。90年度と19年度のCO2排出量を比べると、業務部門(商業・サービス・事業所など)は1.3億トンから1.9億トンに、家庭部門は1.3億トンから1.6億トンに増えた。脱炭素の波の中では大都市の公共交通機関の見直しが不可欠になる、例えて横浜、いろんな整備とセットで自転車の推進(環境にも健康にも良い)昔、廃止した市電に代わる、LRT(ライトレールトランジット)を主要な幹線道に再施設するなども一案、例えば、本牧から間門などはその候補になる、桜木町から間門まで引っ張ってくること。何十年もの計で現世代と次世代が繋いで考えるべきことだと思うのだがどうだろう。市の交通財政の負担を軽減させる意味でも50年ぐらいの計になっても仕方ないと思う、一年あたりの負担を軽減しながら、展望、ヴィジョンを見せるべきだと思う。無理なくソフトランディング。運営の主体は民間で、京急などが街づくりを含めてヴィジョンを出してもいいと思う、美しい景観、三溪園などの街の資産、海岸、住宅地としての再開発はむずくもないだろうと思ってしまう。自転車、ライトレール、そして取り残すことがないための運転手のいない自動運転のEVちびバス。スマートシティを想像してみると、今とこれからあるいろんな技術がそれらの具現に貢献して、それによりマーケットが活性化され、街や財政が豊になる可能性がゴールズとして描けるのではないか。
自然災害が起こった場合は、主体たる対応・対処は自治体となっている。その要因となると言われる気候変動に対して、科学的・学術的な根拠に基づいての積極的な取り組みは住民の生命と財産を守ると共に、将来的にも自治体の負担軽減につながると思われる。自治体が率先して気候変動に対して行く取り組みが必要な根拠はそこにあります。ややもすると20年などすぐに経過していくからです。対応しているのとしていないであれば、すぐ来る20年後に大きな差となる、北欧の諸都市など見ているそう思う。バルト諸国のワルシャワなどがその例として見れる。さらに北、つまり北欧を見ながら自国の行く末を計画している。我が国にも、自転車やEVバス、ライトレールトランジットへの変換に対して積極的な大都市(横浜みたいな規模がでかい都市だからこそ)があってもいいと思うのだが。もちろん全てがそうなれはしないだろう、そうはやりたくても出来ないところもある、しかし明確な目標とゴールズを決めておかなければ事態はさらに深刻化するばかりなりとも言えないだろうか。(書きかけの文章であり、学びの過程における個人の私感ノート、時間経過により非公開)
無印良品のフィンランド・ヘルシンキでの取り組み デザインとは服やモノのデザインを示すものだけではなくなった、もう何年も前から、生きる、未来、をデザインすることが人と末端で接する小売に求めらる。おしゃれとかかっこいいだけを売り物にすることはもうできない。何をゴールズとして提示できるかを求められるし、それによってコミットされることで、事業の継続が成り立つ。街・人・社会とどう生きる、もうモノだけではない、それを具体的に提示する必要がある、わかりやすく言うと経営のヴィジョンだ、そこにヴィジョンはあるのか。
私が雑誌・ミセスにこだわる理由は、母から受け継いだこれだ。母はミセスが好きだった、その記憶がおぼろげにある、これがあった時代には全く意識はしていなかっただろう、ただ大事なところに大切に置かれていて、全集とかと言ってズラっと並んでいたのはこれだけだったのでやけに記憶が残っていて、そんなに大切なのかと思っていた。ずっと後になって内容を見て、その発見の数々にとてもとても驚いたのだった。
文化服装学院出版局の偉大すぎる功績のそのうちのたった一つ。服装は文化なのだ。装苑がんばって、そう装苑となると今度は姉が出てくる。。。
服は文化を作る、これからも。服だけを追いかけても文化じゃない、それを中心とした周りのものが服を生かしてくれる、そして初めて文化になるというものだ。