投稿日: 4月 10, 2022

ひとくち鱧竹

カテゴリー: おいしい

イカリがオリジナル化しているカネテツデリカフーズの商品。カネテツの商品とどう違うのかは不明ではあるが好きな商品、カネテツのこのミニ竹輪、横濱で買えるスーパーは少ない、だいたい取り扱ったりやめたりしている。カネテツは西宮の企業だから地元には強い。

これで同タイプで美味しいのに出雲のミニ竹輪がある、これも取り扱いは少ない、デパートに入っていることが多い。そごうには過去あったが今はやめている。東急本店の明治屋管轄のフロアには最近あった。二子の高島屋SCの明治屋にはあるかも知れない。いずれにせよ明治屋を仲介してデパートに行くのだろう。明治屋の目利きの商品だ、高島屋じゃなくて。

投稿日: 4月 09, 2022

只今開催中の新生活フェア

カテゴリー: Liberal Arts

「新しい色」のお茶わんで気持ちも新たに、スタートする。

Les Prairies atelier asako さん、亜紗子先生のお花はいつも素敵でうっとりです。スタートにふさわしいお花を選んでいただいています。

気分を変えよう。

投稿日: 4月 09, 2022

マダムチョイス

カテゴリー: おいしい

イカリ伝説のマダムチョイス、とにかく厚い、のが2枚。なにせ4枚切、あまり見ない。オリジナルならイカリ、味はもとよりパッケージングのセンスがスーパーで際立っている。食選びのセンスも。

投稿日: 4月 08, 2022

伏見のお稲荷さん

カテゴリー: 開物成務

旅程の最後に商売繁盛・五穀豊穣の神様として伏見稲荷大社へ。じっくりとお詣りするということで。

今年はいろんな作家さんの方達との展示会などなど、目白押しなのです。そして節目の七年目、それらの無事を祈念するべく。

ご祈祷もお願いしましたが、そのご祈祷の丁寧さはいまだかつてないものです。これだけ大規模な神社さんであるのにです。素晴らしい驚きでした。さすがに京都です。

参拝とご祈祷の後、千本鳥居の信仰の山の頂までお詣り。これが山を一周するのに1時間半かかった、麓から麓までだけで。とても急な階段のとんでもな連続の連続の連続の鳥居に息は上がるし、これが山中続くのです。翌日の今日、脚が全体にマジな筋肉痛で歩きづらい….これがいいのですね。
まだまだ中腹の洛中の景色
やっとこれが見えた頃には、息も絶え絶え、脚もがくがくに。よく登ったな!オレであります。さすがにほとんどは若い人か子供さんでありました。
神楽の舞台、ご立派でございます。
これはお詣りの前に、参道にある「いな福」さんでの昼まえのブランチ、あえてホテルでの朝ごはんは外しておいて、このきざみの蕎麦と名物の発祥地としてのいなり寿しをいただきました。さすがな味でございました。そのすべてが好きで、関西のうどん、そば、おいなりさんのベースはこれだと思いました。うすあげの美味さよ、どうってことのないものに、その神が宿っていました。山に上がる前で良かった、降りてきたら食べれなかっただろうと思う。それぐらい体にはこたえていた。もし行かれる方がおられましたら、せっかくですから午前の参拝で昼に近い、いな福、食べての参拝をお奨めします。時間の始まりまでが午前中に終わるように。朝早くから営業されてます。

投稿日: 4月 07, 2022

ヨーイヤサー

カテゴリー: 開物成務

令和初舞台の「都をどり」観てきました。

しかも歌舞練場が耐震工事中により、新しくなった記念すべき南座での講演でございました。

桜満開の仁和寺のフィナーレ舞台は圧巻でございました。

クリエイティブとはここに極まれり。

この着物がとてもよかったです。
五世:井上八千代さん・京舞家元 人間国宝 振付・指導のもとの「 都をどり」

投稿日: 4月 06, 2022

大谷幸夫と村野藤吾

カテゴリー: Liberal Arts

京都へ、桜、建築、仕事の旅。

大谷幸夫設計の京都国際会館は1966年に開館されている。その内装は56年経った今もなお評価され続けるもので、何よりも美しい外観と内装の印象は異なると感じる私ではある。去年に続いての訪問。日本のモダニズム建築。

そして、その京都国際開館の会議場向かいのプリンス、村野作品の秀作への滞在は2箇所目、一つ目は「志摩観光ホテル」だった。

楕円の形状 プリンスホテルの中でも名作中の名作と私は位置付ける。

村野は晩年まで、建築家は徹底して謙虚でなくてはならない、そう述べていた。資本主義のなかで、建築は勘定できる資本であり、たとえば銀行であれば預金、公共施設であれば税金が使われるのであるから、現代の建築は社会のものなのだ、という認識をつねにもっていた。それゆえに、「村野の作品ではなく、村野の関係した作品」であり、たまたま関係しただけの話であり、作品はやはり社会のものなのだ。そうした態度は、決してニヒルな気持ちから来るものではない。彼は続けてこう語る。「だから社会の人にたいして建築を大事にしなさい、愛しなさい、傷つけてはいけない、ということがいえる。それは村野を生かすためじゃないでしょ。建築自身を生かすためのものじゃないかと思います」(『新建築』1980年1月号より引用)と。