丸いシャンデリア使っています。
なんだろう、やはりリチやホフマン、コルビュジェやグロピウスなどが生きていた、創造性の豊かな時代を想ってしまう。
ただナチュラルとか北欧のなんとかとかじゃないんだろう、もっと次に行きたい。丸っとモダニズム。リアリティ、質感を手で触れることでしか伝わらないもの、小さな画面をいくら大きくズームしても感じられないもの。世界の中の一点を衝く。
丸いシャンデリア使っています。
なんだろう、やはりリチやホフマン、コルビュジェやグロピウスなどが生きていた、創造性の豊かな時代を想ってしまう。
ただナチュラルとか北欧のなんとかとかじゃないんだろう、もっと次に行きたい。丸っとモダニズム。リアリティ、質感を手で触れることでしか伝わらないもの、小さな画面をいくら大きくズームしても感じられないもの。世界の中の一点を衝く。
お花をLes Prairies atelier asako さん亜紗子先生に届けていただきました。
さすがな「花ざかりの森」ムフフ、とってもかわいいです。MWL は花でございます。しかもクリエイティヴィティーの高い。店中が花の香りに溢れているのです。
みなさまお気遣いをありがとう存じます。とても嬉しいです。
素晴らしいですよ、お花を見に来てください。
音声ありません、3倍速です。ブルックスさんを左に見て、右にスタバさんを過ぎて、しばらくで右手にスタージュエリーさんの本店が見えてきて、その向かいのビル、この動画ではシャッター降りてます。もっとわかりやすく取り直します。改札より歩いて2分ぐらいです。
横浜市中区元町1丁目28番地 大野ビル3F
電話は移転工事中で6月1日より開通します。それまではインスタグラムかこのブログ、もしくは info@mwl-store.comまでお問い合わせください。ご不便おかけいたしますがよろしくお願いいたします。
私は図案を制作するに当って、
自然の花鳥を見てもその形のみに止らずして、その香り、日光、風の動き等の感じをも取入れて想像し、創作いたします。例えばすみれを描く場合に、すみれの香水を嗅ぐ事によって、すみれの花束を見つつ描くよりもよりよい暗示を得ます。花にしても、盛りの最中よりも、歯とか、散り際とか、散ったあと等の方がより深い暗示を与えます。単なる写実ではなく幻想し、創作するということが重要な事です。
「欧州図案家の生活」『眞美』9巻2号、買美會、1932年6月
上野リチ、左。右は旦那さん、夫の上野伊三郎、ホフマン派の建築家、ウィーン工房で出会い、意気投合、やがて結婚。リチさんは京都で晩年を過ごし生涯を終えている。とにかく二人ともお洒落である、アウトプットがいい。この当時にこんな格好ができるのだから。伊三郎はブルーノ・タウトによる「日本美の再発見」の鍵を握る人物でもあった。宮大工の家に生まれた造形派の生粋の京都人。伊三郎はリチの最大最高の理解者であり支援者であった。
上野リチ・リックス
ずいぶん昔のことですが、私がまだ W・W・(ウィーナア・ウェルク・シテッテ)[註:ウィーン工房]に居た頃ドイツ旅行の際に有名なワイマールのバウハウスに校長グロピウスを訪ねたことがあります。通された彼の室のカミーン[註:暖炉のこと]にフト目をやると何と私の作品の陶器が飾ってあるではありませんか。
“それは私の作ですが”と云うと
“そうでしたか、ライプチッヒのメッセで見かけて気に入ったので、W・W・の売店で求めたのです” とのことでした。当時、私はバウハウスは私共のW・W・とは全然違った傾向にあると考えて居たので、彼が w.w.の私の作品を愛玩して居るのを見ると意外でもあり、うれしくも思いました。良い面白いものは何でも好き嫌いしないという彼のやり方がここにも表われて居ると思います。
昨年ウィーンに居た時受取った主人からの手紙に、グロピウスが日本に来ていろいろ助言を与えられるとあったので、友人達はグロピウスが日本の立派な伝統芸術を近代化するのを見ることが出来るのは羨ましい次第だと大騒ぎをしましたし、恩師ホフマンも”それは素晴らしいことだ”と伝って居られました。
6月中旬に日本へ帰りまして、お目にかかった印象はゴシック時代のバウフェッテの老マイスターと広う感じでありました。
彼が中世紀に生きて居たらきっとゴシックの大伽藍のマイスターとして[建]築や形刻を可さどった事でしょう。
“日本はどうです”と尋ねたら
“私は寝られない程興奮しました、バウハウスで始めたノルム、正確な仕事、等々のあらゆるものは日本では昔からちゃんと出来て居たので、”と答えた。
グロビウス会編「グロピウスと日本文化」国社、1956年、139-140頁
※巻末の「執筆者紹介」にリチの名前は掲載されていない。
ウィーンからきたデザイン・ファンタジー 上野リチ
美しいデザインを。