投稿日: 9月 14, 2025

ジャン・パトゥというアール・デコを生きた男のメゾン

カテゴリー: 開物成務

MWL  BUSINESS Brand Story アール・デコを追いかける、今回はアール・デコとファッション

ファッションは私の出自。生涯をかけて作り上げるもの、MWL の根幹、だから日本で創られているお洋服にこだわるのです。

さて、アール・デコであります。アール・デコの始まった年代とは、一般的に1920年代に始まったとされています。

この様式の名前は、1925年にパリで開催された「現代装飾美術・産業美術国際博覧会(Exposition internationale des Arts décoratifs et industriels modernes)」に由来しています。この博覧会を機に、世界的に広まっていきました。

第一次世界大戦後から第二次世界大戦が始まる1930年代後半にかけて、建築、工芸、ファッション、グラフィックデザインなど、様々な分野で流行しました。

アール・デコの時代を駆け抜けたファッション人としてのジャン・パトゥの際立った存在

その影響はファッションにというか、先見性のあったジャン・パトゥという個人に大きく影響した。たった49年の短い人生をセンスという名のもとに生きた男の物語だった。センスのメゾンの始祖とも言える男の短い49年だった。今も名前が残る。LVMHが持っている、それはフランスそれもパリの無形遺産だと言えるからだろう。特に香水が優れている。全てのメゾンが香水をするのは収益性の高さからである。宝飾品のように。日本人はあまり香水を好まないが欧米人には絶対のものである。メゾンが生き残った根幹の商品が香水と宝飾品。

ジャン・パトゥ、49年という短い生涯を風のように駆け抜けたセンスの男
UNITED STATES – JANUARY 01: The stylist Jean PATOU choosing his models in the United States for his French atelier. (Photo by Keystone-France/Gamma-Keystone via Getty Images)
いかにもアール・デコなファッションやヘアスタイル、彼の力量であった、世界を席巻した

パトゥは1914年に自身のメゾンを創設する、なんと27歳の時であった。第一次世界大戦で、メゾンは一時中断を余儀なくされ、戦争の前線から戻ると、彼は直ちにブランドを再開した。そのクリエイションは、バルカン半島や東方への遠征がインスピレーションとなっていたと言われる。若きクチュリエが望んだこと。それは、それまで女性に課されていた制約の多い衣服から女性を解き放ちたいというものだった。彼は、コルセットのないドレスや丈を短くしたスカートを販売し、街中で着用することを前提としたスポーツラインや、自身のイニシャルのモノグラムを発表した。パトゥは、競合ブランドのランバンや最大のライバル、ガブリエル・シャネルと比べて、先見性という点で際立っていた。たとえば、彼はテニスチャンピオンのスザンヌ・ランランをミューズにし、ボーイッシュなスタイルが流行していた当時に背面のネックラインを低くしたロングドレスをデザインしています。彼の先を見据える力は確かだった。1919年から1924年の間にメゾンの収益は30倍に増加。当時のセレブリティたちがこぞって彼のドレスを求めたのです。

コルセットから女性を解放したスポーツラインとしてのテニスウエアの元祖、今でも通用するというか、これほどの先進性を見ない パトゥ偉大なりである。100年前だという時代を考えていただきたい。
バレェの影響したテニスをしたと言われる スザンヌ・ランラン今もローランギャロスのコートの名前として残る。全仏オープン 
スザンヌ・ランラン ウエアのデザインはパトゥ
同時代に発表したスポーツの影響したコレクションとモノグラム アール・デコの影響が窺い知れる
アール・デコの時代の狂騒の20年代のしゃれ男。非の打ちどころのないセンスを持った見識ある審美家。ヨーロッパとアメリカ中を旅して周り、その彼のことを、アメリカメディアは「ヨーロパで最もエレガントな男性」と称賛した。

投稿日: 9月 12, 2025

カテゴリー: アルチザンな人たち

神奈川県産のいい肉を見つけ…理由はこのお塩を使いたかったわけで、食すと肉の美味さと相まり美味しくいただけました。

美味しくいただくにはお皿が大事、いい皿で食べてこそ、美味しくいただけると言うもの。皿にはこだわり続ける。
 

投稿日: 9月 12, 2025

横浜とアール・デコ建築

カテゴリー: 開物成務

日本における西洋様式をいち早く取り入れてきた街、横浜。中でもアール・デコの様式は横浜の歴史にとってとても重要な位置付けにあり、街が発展してきました。

今から102年前の9月1日におこった関東大震災、その震源地は神奈川県。横浜には人口が集中していただけに未曾有な大災害となり、壊滅的に街が壊れました。長い長い復興の時間がかかり、その後の復興事業の大事な部分に、自分たちが誇れる、好きでいることのできる街、として復活再生をするという項目が盛り込まれました。

そんな状況下、この荒廃し何もなくなってしまっていた美しい横浜に、再び復興のシンボルとして後世に誇れる建物、象徴的なものを建てようという考え方です。その礎になったのが、横浜の三塔です。キング、クイーン、ジャックの愛称で今では馴染み深い。それぞれ、キング:県の本庁舎、クイーン:横浜税関、ジャック:横浜市開港記念会館のことで、これらは神奈川の復興のシンボルとして、港横浜、神奈川を象徴し、再び美しい街を作り上げていく礎となっていきました。

そして港を通じ、商船や客船によって世界の人たちが来る街に、世界に誇れるような国際ホテルを創るという気運も生まれ、横浜市が主体となって新しいホテル、その名もホテルニューグランドが誕生しています。今も土地などは横浜市が所有するもので、地代などをホテルは横浜市に支払っています。国際都市としての横浜の始まりの場所が山下埠頭を見下ろす場所に建築されたのでした。

これらの復興事業は1920年代の後半に建てられて、この当時のアール・デコの世界的流行の影響を受けてそれぞれの建築に取り込まれていて、日本で他に例を見ないぐらいにアール・デコな街が横浜市なのです。

その背景には復興復活再生というプログラムがありました。

中でも100年経った現在も魅力的に日々を更新続けるホテル、それがホテルニューグランドです。

ここのアール・デコは圧巻です。外装からすでにアール・デコが始まります。1927年竣工の横浜復興のシンボル。

赤い外テントの部分がカフェでして、ここの洋食の数々やパフェは悶絶級です。この前にLRTを引いて欲しかった、桜木町から、本牧、そして三溪園の間門まで。いずれ、もっと先までぐるりと海沿いに、100年後にはあればいいな、そんな長い視点の都市計画であって欲しい。アール・デコを壊さないで。夢大きく、多い、市長や知事が登場するのを待つしかないですね。
圧巻な階段とアール・デコなシャンデリアランプや壁面の装飾 アール・デコ!
山下公園から見たところ
上の2階部分のバンケット 

ホテルニューグランドの設計者は渡辺仁といいます。あの銀座四丁目の三越の向いの時計台のビルの和光ビルの設計者で、同じですね、でも和光の方はネオ・ルネサンス様式のビルでアール・デコではないようです。

でも美しいビルですね 
 服部セイコーのビル

投稿日: 9月 11, 2025

ピーターラビット™︎の紅茶缶の販売継続

カテゴリー: アルチザンな人たち

元町通りのピーターのイベントは先月で終了しました。が、これはここで販売続けます、なくなっても入荷してまいります。とても美しい、素晴らしいカンカンです。まだ全国の人が知らない、特にピーターファンの方々、詳細を見れば唸りますよ。缶の作りの美しさに。もちろん、東京で創る日本製です。手造り。

世界広しと言えど、これ売っているのはここだけのオリジナル企画です。

ギフトや自分へのご褒美、缶のその後のかわいい再利用に使われています。

中身はアールグレイのピンク缶とイングリッシュブレクファストのホワイト缶という、イギリスらしい紅茶文化のスタンダードを具現しています。ピーターの湖水地方の物語と共に。

中身の紅茶は紅茶インストラクターと共に何度も試飲を重ねて決定しています。美味しいと評判です。

横浜の素晴らしいお土産に、あの人の喜ぶ顔の見れる稀有な産品、横浜も元町というらしさの缶をどうぞ。

缶のサイズ小さくないですからね、その後の用途は多いです。そして圧倒的に可愛いグラフィック、金色ですからね、キラッと、でも抑えています。センスよく。

日本の開国開港の始まった横浜の元町、元町1丁目にあります。MWL STORE

投稿日: 9月 11, 2025

三菱一号館

カテゴリー: Liberal Arts

センスのいい美術館の東西双璧、三菱と大阪中之島 それが時を同じくしてアール・デコっていう、それもファッションが主役という。これは建築家もデザイナーも陶芸家も見ていなきゃならないのさ。あぁ10月からですからね、もう少しです。