吉田璋也さんは、民藝の品を作った人でなく、柳宗悦むねよし(柳宗理の父)の見出した民藝の美を実生活の中に取り入れるために、新たな民藝品を生み出すように、優れた技術や製作背景を持つ地元の窯などの造り場を訪ねて、説得した人、これを後においては新作民藝運動と呼んでいます。自らも「民藝プロデューサー」を自認して、地元の周知されていない、まだ「夜明け前」の民藝の普及に大変大きな業績を残した人。
今も造り手に陽があたることは多いですが、実は、造り手、売り手、使い手の三方良しで、初めて、産地や周辺産業は潤うのだと思っています、産地が潤うことがなければ優れた技術や創作は伝承し得ない、中を取り持つ売り手の大事さが重要なのだと思います。正しく伝えて、産地やモノづくりに入っていく次世代たちのそれらの世界を知る術ともなる。昭和7年に地元鳥取に「たくみ工藝店」を開業、なんとその翌年にはすでに西銀座の「たくみ工藝店東京支店」を開店されています。民藝運動は、やっていることは民衆の中の芸術の発見なのですが、それを興した人たちは教養も財政も豊かな人たちが多く、そのゆとりのそれらが極端にストイックな方向に行かなかった理由なのかなと、私は解釈しています。
この写真の大皿、吉田さんが説得(指導という言葉を使っていない、使えないと思う)して新たな方向、それは主にデザインであったろうと思われる、時代から言って、洋式にも合うようなもののデザインなどを言ったのではないか、優れた背景から、新しい価値観を生むことへの説得と解釈しました、いつの世も同じなのであります。造り手だけでは知り得ないサムシングを「説得」という言葉に垣間みました。それが言えたのもすべて類稀な眼力があってのことだったのだろうと。
そういう吉田さんへの敬意の意味を込めてこの、染め分けの大皿を思うのであります。
造り場と消費地としての都会との接点、それらがとても大事なのだろうとも、正しく産地・造り手の思いをお伝えして行きたいものであります。それには日々学びしかございません。