投稿日: 5月 23, 2021

ホンダらしさ

カテゴリー: Liberal Arts

ホンダ e を街中で見かけるようになりました。神奈川県でも、先日も湘南T -SITEに行った時に、駐車場に止まっている姿がありました。やはりかわいさが目を引きました。いいなぁってね。まあ、湘南T-SITEは松下の住宅を中心としたEテクニカルタウンですからね、パナホームってやつですソーラーな。自治体も参加した。だから街に似合うし、意識高い方々も住んでおられて、世の中では早い部類でしょうね。この写真もトップギアだからホンダ好きの多いイギリスの風景なのでしょうかね。バイクはモトコンポっていうの、車に積めるということで開発されてハンドルなどもボデイに沿って折りたためるのですよ。かわいい。そしてシティ・ターボですね。これが出た時もeみたいに衝撃的でした。トップギアうまい撮り方してますね、ヘルメットのデザインとか色もかわいいし、短パンなのがいい。

eの後ろ姿がかわいい、でもシティってやっぱりこんなにちっちゃかったっけって、感じですね。
前から見た感じもイーな。シティ・ターボも。
HONDA e ダッシュボードにシフトレバーはない。

投稿日: 5月 23, 2021

水素エンジン

カテゴリー: Liberal Arts

昨日から今日、トヨタは水素エンジンのカローラで24時間耐久レースを完走しました。しかもドライバーの一人は章男社長。必ず重要な局面においては前面にたち自ら語り組織を引っ張る、この時代に稀有な方です。本当に素晴らしいです。ずっとその姿勢を貫く章男社長です。

 

ベース車両のカローラスポーツ、ミライというよりも本丸はこのクラスの水素カーの投入であることは誰しもわかります。課題は安全性とやはり充填拠点の確保、そして出力と燃費であるようです。メリットは今までの化石燃料車とほぼ共通したパーツ、つまり安全性や強度、耐久性がすでに担保された優れたパーツをゼロから金をかけて、電気車両のように開発しなくていいというところであって、既存の膨大なサプライチェーンのピラミッドやその優れた技術背景をある程度まで守るということも出来るということが容易に想像できますね。ドイツもフランスも日本と同様な問題に直面しますから。今の時点でここまで開発が進み、それの普及に向けた課題も見えているのはいいですね。燃焼系で水しか出しませんが、音は出るようで、ガソリンとはまた違ういい音です。電気自動車は音がなくて、化石で育った世代には味気ないですからね。ま、好みですかね。。。
中継見てましたけど、なんと完走しましたね、しかもゴールのドライバーは章男社長でした。そりゃ絵になります、普通のマスコミの取材がとても多いレースだったようですね。ここで使われた水素は福島で太陽光発電で作られたものを使用したそうです。イワタニ産業など、あのスーパーに並ぶガスボンベのね、などが水素のインフラに参加してます。モリゾウというネームが章男社長のことです。

ハイブリッド技術では世界の頂点にあり、電気もこれからたくさんの導入がレクサス販路で始まり、水素カーは水素カーで開発するという。世界1位の自動車メーカーは大変です。水素カーは2050年時点でゼロエミッション動力エネルギーの多様性全体の18%を賄うという前提に立っての開発です。いいですね。

水素系の普及推進団体世界版、ドイツ、日本、フランスが本気、中国は電気、アメリカも電気と巨大産油国であり資源持ちなので、しがらみや既存のものがあるので水素は全体の一部であるという感覚でどちらかというと国策的にはネガなのか、本田とGMで水素エンジンの共同開発の姿勢はあります。日産も参加していないのが気になります、これも電気で行くから?ま、これは一次メンバーなので外郭で日産も入っているのかも知れませんが。

投稿日: 5月 23, 2021

茶聖・大谷嘉兵衛

カテゴリー: 街物語

日本のお茶産業の振興に情熱を捧げた大谷嘉兵衛さん(以後敬称略)1845年生まれ、ほぼ幕末に青春を過ごしています。そして文明開花を肌で感じていたはずです。嘉兵衛は伊勢の国飯高郡に生まれ、19歳の時に親戚筋である、横浜北仲通り(今のあの立派な市役所、あのタワマンの前)にあった伊勢屋小倉藤兵衛方に奉公に出る。奉公と言われるぐらいだから親戚筋とはいえ大変であったのだろう。嘉兵衛は関西屈指のお茶の生産地だった伊勢茶の製茶貿易に就きます。そしてその働きぶりが気に入られて養子とはなるが、養父との仲がうまくいかず、それまでの茶貿易の経験を生かしてスミス・ベーカー商会という会社に転出し、そこから稀有な商才を発揮することになります。大量の宇治・大和茶を買い付けた、実に23歳、大勝負をしました。そして名をあげます。それを横浜港から輸出した。その後、当時はあまりにも日本の茶が売れて、需要が逼迫し、いろんな品質の問題が浮上し、この時も嘉兵衛は率先して中央茶業本部を設立して輸出製茶の品質向上に努めています。この間、横浜市会議員、市会議長、全国中央会議所の議長おも努めていました。当時の日本は絹に次いでお茶は重要な輸出品目でした。そのほとんどを横浜の港から輸出していました。その産業の推進に重要な役割を伊勢の国出身の嘉兵衛が果たしていたわけです。実はそういう縁から西区の伊勢山皇大神宮には銅像、その後にも石碑があったらしいのですが、今はなくなっているようです。(諸説あり)

ここで申し上げたかったのは、横浜港近くにあったという「お茶場」当時は全国から横浜港に集まる乾燥不十分なお茶を乾燥させて製茶する施設のこと、山下町一帯にあったと言います。そしてそれらの品質向上の振興を行なったのが伊勢の国生まれの大谷嘉兵衛であったという歴史的な事実です。日本の茶の輸出と産業の発展の礎になった横浜港なのであります。

このお茶のパッケージのイラストの背景は、船の安航を祈る旗、そして港を横切るベイブリッジ、大海を望んでいる風景。最も横浜らしい、横浜開港のポイントです。

資料参考:「日本茶の近代史、幕末開港から明治後期まで」蒼天出版社編、他。

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