民藝に行こう。

昨日朝一 来年までやっているから何度か来ます。昨日は人が多かったので、ほとんど自分的には見れない、また来ます。いい展示が多かったです。

図録より。芹沢銈介が手掛けたデザインのもの。先日の2週間ほどまえの京都出張のおり、祇園・花見小路の十二段家にランチを食べに行きました。ステーキランチ、その時に内装これ民藝でしょって思っていたのだが。最近改装されたのです。そこは祇園の花見小路の通りにあるみんな知っているいつもの店で、実はもう少し奥の通り入ったところにも本店がありましてね、以前はいつもそこに行っていたのですが、当時は、建物に確かに民藝が多いな、京都だしね、ぐらいに思っていた。無知そのものでした。花見小路の店に先日行ったおりにはリニューアルされていて、なんで新しくしたのにまたこれほど民藝やってるのって思っていたのです。その時も深くは追わなくて、記憶には残していました。それがこれですよ、目からウロコですね、こういうことだったのですね。鳥取のたくみ割烹も銀座のざくろも、スエヒロも、食文化を引っ張っていた民藝、そこで使う食器も民藝だったのです。つながっていた民藝という思想で。今それがランチのしゃぶしゃぶで民藝を堪能できるのが、私が通う銀座コアビル地下「しゃぶせん」ですいまだにうつわ、しつらえ、もてなしが、民藝で、肉もおいしい。うつわと肉と具材の関係が美的でいて、適価であって、民藝には価格、ここが大事。だからこれも中庸のプレミアムであると言える、プレミアムには「ざくろ」が存在する、それはそれでよし、そういう人もいるから。いわく、昔の民藝を主導した人たちの思想には衣食住があった、陶器だけではなくて、その料理もあって、それは古い料理ではなくて当時はなかったモダンな食べ物であったようだ。うつわだけではないのだ、ライフスタイルだ。ファッションもある、彼らには。だからファッションが重要だ。柳も河合も濱田もおしゃれだから、競うようにお洒落をしていました。まずそこだと僕は思う、始まりの一滴。

今も美味しくあります。民藝と言えばすずや。とんかつ。ここは筋の通った民藝、表面舐めただけのものではない。