安土桃山時代と大正デモクラシー

もうそろそろホームページの形態やデザインそのものも変えたいなと流石に思います。10年もしてます。

MWL STOREの解釈としての日本の歴史と日本ならではのモノの生まれを考察していきます。

テーマは複雑な美意識

 

時代には重要な要素としての期間つまり年数があります。ただ長いだけではなくて、短くとも日本の歴史に珠玉に輝ける時代のこと。MWL STORE的にはそれはまず安土桃山の30年、そして大正の15年、大正デモクラシーってやつですね。これが実は、この時代がとてもいいのです、明治が終わって、戦争の昭和との中に挟まれていた時代、紐解いていきますとね、素敵な時代だったんだなぁってね。さ、参りましょう、私と共に大正デモクラシーの時代へ、それはまさに上野リチが生きた時代だったのです。その影響がMWL STOREの壁紙に残されています。そうあの花柄はモリスでもリバティでもなくて、日本の上野リチなのです。

でも、そこにたどり着いたのは、リチにですね、それはヨーゼフ・ホフマンだったのです私には、きっかけですね。1980年代の初めの頃に私が学んだウィーン芸術です。クリムトからホフマンまでの、つまりウィーン分離派のことですね、この創造性、芸術性の高い集団たちの虜にその時代なっていたのでした。今はそれを思い出として、数ある知見の一つとして抽出してまいります。長いよ。いっぱいあるから経験が。

前段としてあるのは、東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)日本で最高のアール・デコ様式の建築が完全に保管されているところ。私はウィーン分離派からアール・デコに入り、そしてバウハウスに辿り着く、そしてイームズかな。でも太い幹としてのアートはウィーン分離派からのアール・デコ。

 

文献としての

「ウィーン分離派とアール・デコの関連性を考察する」第一回 by MWL STORE

アール・デコとウィーン分離派は、それぞれ異なる時代と地域で発展した芸術運動ですが、その間には明確な関連性があります。 ウィーン分離派がアール・ヌーヴォーの派生として、その後のアール・デコに大きな影響を与えたと考えられています。

 

幾何学的な様式への移行

アール・ヌーヴォーは、花や植物の曲線的なモチーフを特徴とする装飾様式でした。一方、ウィーン分離派は、その装飾性を保ちつつも、より幾何学的なデザインや直線を取り入れる傾向が強かったのです。これは、アール・ヌーヴォーの様式が発展する過程で、ウィーンという地域的な特性から生まれたもので、この幾何学的な志向が、後に登場するアール・デコの先駆とみなされています。アール・デコは、産業革命後の工業的な時代背景を反映し、シンプルで機能的な幾何学模様や直線、左右対称の構成を重視しました。ウィーン分離派の建築家やデザイナー、特にヨーゼフ・ホフマンやコロマン・モーザーらが率いたウィーン工房の作品は、アール・デコ様式に見られる直線や単純化された形態をすでに示していました。

 

総合芸術としての共通点

ウィーン分離派とアール・デコは、どちらも絵画や彫刻といった純粋芸術だけでなく、建築、家具、工芸品、ファッションなど、生活のあらゆる分野に芸術を取り入れようとする総合芸術(Gesamtkunstwerk)の思想を共有していました。ウィーン分離派は、伝統的なアカデミズムから分離し、芸術と生活の融合を目指しました。アール・デコもまた、裕福な層だけでなく大衆にも広まり、建築様式や日常的なプロダクトデザインとして世界的に流行しました。この、芸術を日常生活に浸透させようという理念は、ウィーン分離派からアール・デコへと引き継がれた重要な要素です。

 

影響と系譜

ウィーン分離派の活動は、1920年代にパリで開催された「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」(アール・デコ博)を契機として世界的に広まったアール・デコ様式に大きな影響を与えました。アール・ヌーヴォーが衰退する中で、その装飾性を工業生産に適した形に再構築したのがアール・デコであり、その再構築の過程において、ウィーン分離派が示した直線的で幾何学的なデザインが重要なヒントとなったのです。したがって、アール・デコはウィーン分離派とアール・ヌーヴォーが持つ要素を融合し、よりモダンで洗練されたスタイルとして成立したと言えます。

ブログは多岐に渡りますので、次回をお楽しみに。

いか、その時代に創られたもの、ファッション

 
 
 
 
 
東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)