MWL BUSINESS Brand Story アール・デコを追いかける、今回はアール・デコとファッション
ファッションは私の出自。生涯をかけて作り上げるもの、MWL の根幹、だから日本で創られているお洋服にこだわるのです。
さて、アール・デコであります。アール・デコの始まった年代とは、一般的に1920年代に始まったとされています。
この様式の名前は、1925年にパリで開催された「現代装飾美術・産業美術国際博覧会(Exposition internationale des Arts décoratifs et industriels modernes)」に由来しています。この博覧会を機に、世界的に広まっていきました。
第一次世界大戦後から第二次世界大戦が始まる1930年代後半にかけて、建築、工芸、ファッション、グラフィックデザインなど、様々な分野で流行しました。
アール・デコの時代を駆け抜けたファッション人としてのジャン・パトゥの際立った存在
その影響はファッションにというか、先見性のあったジャン・パトゥという個人に大きく影響した。たった49年の短い人生をセンスという名のもとに生きた男の物語だった。センスのメゾンの始祖とも言える男の短い49年だった。今も名前が残る。LVMHが持っている、それはフランスそれもパリの無形遺産だと言えるからだろう。特に香水が優れている。全てのメゾンが香水をするのは収益性の高さからである。宝飾品のように。日本人はあまり香水を好まないが欧米人には絶対のものである。メゾンが生き残った根幹の商品が香水と宝飾品。



パトゥは1914年に自身のメゾンを創設する、なんと27歳の時であった。第一次世界大戦で、メゾンは一時中断を余儀なくされ、戦争の前線から戻ると、彼は直ちにブランドを再開した。そのクリエイションは、バルカン半島や東方への遠征がインスピレーションとなっていたと言われる。若きクチュリエが望んだこと。それは、それまで女性に課されていた制約の多い衣服から女性を解き放ちたいというものだった。彼は、コルセットのないドレスや丈を短くしたスカートを販売し、街中で着用することを前提としたスポーツラインや、自身のイニシャルのモノグラムを発表した。パトゥは、競合ブランドのランバンや最大のライバル、ガブリエル・シャネルと比べて、先見性という点で際立っていた。たとえば、彼はテニスチャンピオンのスザンヌ・ランランをミューズにし、ボーイッシュなスタイルが流行していた当時に背面のネックラインを低くしたロングドレスをデザインしています。彼の先を見据える力は確かだった。1919年から1924年の間にメゾンの収益は30倍に増加。当時のセレブリティたちがこぞって彼のドレスを求めたのです。




