バウハウスの時代 by MWL BRAND Business Story

デッソウに於るバウハウス

ここでよく取り上げるストーリーにアール・デコがあります。人類の歴史の途上で、一番美しい時代だったと思うからです。何度も言いますが、それがファッションにまできている時代だったからです、ヘアスタイルにとも言えますね。

もともとバウハウスにかなりの影響を受けていた私は、さらにそれが出てきた背景を知りたくなり、調べ出したところにアール・デコがあったわけです。だからブランドストーリーを整理したくなって、整理しています。

デザインが豊な時代から生まれたものにはちゃんと背景があるというのが今日の学びです。

バウハウスとは

バウハウスが1919年にドイツのワイマールに設立された背景には、主に以下のような要因が挙げられます。

  • 第一次世界大戦後の社会の再建と混乱 バウハウスが設立された1919年は、第一次世界大戦が終結した直後であり、敗戦国となったドイツは、政治的・経済的に大きな混乱の中にありました。物理的な復興はもちろんのこと、人々の価値観や社会のあり方そのものが問われていました。このような状況の中で、建築家ヴァルター・グロピウスは、芸術、工芸、技術を統合し、新しい時代のニーズに応えるデザインや建築を生み出すことを目指しました。これは、社会を再構築するための新しい芸術・デザインのあり方を模索する動きでした。

  • 産業革命による問題の克服 19世紀の産業革命により、機械による大量生産が可能になりました。しかし、その一方で、手仕事の衰退や、粗悪なデザインの製品が大量に市場に出回るという問題(現代日本に似る背景がある)も生じていました。この問題に対し、19世紀末にイギリスで起こったアーツ・アンド・クラフツ運動は、手仕事や職人技術の復興を主張しました。 この影響を受けて、ドイツではドイツ工作連盟が結成され、芸術と産業を融合させ、工業製品の質の向上を目指す動きが起こっていました。グロピウスもこのドイツ工作連盟で活動しており、バウハウスは、これらの流れを汲みつつ、さらに発展させた形で、芸術と技術の融合を目指しました。

  • 芸術と工芸の壁を取り払う 当時の美術教育は、芸術(ファインアート)と工芸(クラフト)が分断されており、職人技術が軽視される傾向にありました。バウハウスの設立理念には、「すべての造形芸術が最終的に目指すところは完成した建築にある」というグロピウスの有名な言葉が示唆するように、芸術と工芸の垣根を取り払い、建築を頂点とする総合的な造形教育を行うという目的がありました。職人技術を重視し、芸術家と職人の間に本質的な違いはないとする考えは、それまでの美術教育とは一線を画すものでした。

このように、バウハウスは、第一次世界大戦後の社会の再建という切実な課題、産業革命がもたらしたデザインの問題、そして芸術と工芸の分断という従来の美術教育に対する反発といった、複数の要因が複雑に絡み合って生まれた、革新的な教育機関であり、デザイン運動だったのです。

まずはこのあたりまで、次回はバウハウスがその後に与え続ける影響について考察し講義いたします。

MWL BRAND Business Story