ケルン 以前のキースについて語ろう。

キース・ジャレットのことはマイルス・ディヴィス好きの兄の部屋から聞こえくるレコードで知った。その後ケルンコンサートも兄が最大級に賛辞していた。キース・ジャレットとマイルス・デイヴィスの関係は、単なる「師弟関係」という言葉では片付けられない、ジャズ史上最もスリリングで、かつ特異な化学反応の一つで、1970年から1971年というわずかな期間でしたが、この二人の邂逅は両者のキャリアにとって決定的な転換点となりました。

1. 邂逅:エレクトリック・マイルスへの合流

1970年、マイルスは自身のグループを電化(エレクトリック)させ、ロックやファンクの要素を融合させる革新の真っ只中にありました。キースは当初、エレクトリック・ピアノやオルガンといった電子楽器を「魂がない」として嫌っていましたが、マイルスの圧倒的なカリスマ性と音楽的ビジョンに惹かれ、加入を決意する

  • 異例のツイン・キーボード: 当時、グループにはすでにチック・コリアが在籍しており、マイルスは二人に同時に弾かせるという贅沢な編成をとった。

  • 「弾かない」ことの教え: マイルスはキースに対し、具体的な指示をほとんど出しませんでした。唯一の有名な助言は、「お前はピアノを弾くのが好きすぎる。もっと弾かないことを覚えろ」という趣旨のもので、これが後にキースの空間美を活かしたスタイルに影響を与えたと言われています。


2. 音楽的貢献と「ライヴ・イヴル」

この時期のキースの演奏は、後のソロ・ピアノで見せる叙情性とは打って変わり、攻撃的でファンキーなエレクトロニック・サウンドが特徴です。

  • 即興の極致: アルバム『Live-Evil』や、映像作品『Live at the Isle of Wight』では、マイルスのトランペットと激しく火花を散らすキースのオルガン・ソロを聴くことができます。

  • マイルスからの信頼: マイルスは自叙伝の中で、キースを「自分のアイディアをすぐに理解し、それを発展させることができる天才」と高く評価していました。キースが脱退した後、マイルスはしばらく固定のピアニストを置かなかったことからも、その存在の大きさが伺える。


3. 離別と「アコースティック」への回帰

1971年末、キースはマイルスのバンドを去ります。この離別は、キースが自分自身の音楽(特にアコースティック・ピアノによる内省的な表現)を追求するための必然的なステップだった。

比較項目

マイルス・バンド時代

脱退後のキース

主な楽器

電子オルガン、エレピ

アコースティック・ピアノ

音楽性

アグレッシブ、ファンク、集団即興

叙情的、完全即興、クラシック的

役割

アンサンブルの要、補佐役

ソロ奏者、トリオのリーダー

4. 互いへのリスペクト:晩年まで

マイルスはキースの才能を認め続け、キースもまた、マイルスを「音楽の真実を知っている数少ない一人」として敬意を払い続けた。

1991年にマイルスが他界した際、キースは**「Bye Bye Blackbird」**を録音し、偉大な師に捧げました。マイルスの「音の選択の厳しさ」と「沈黙の使い方」は、キースの代名詞である『ザ・ケルン・コンサート』やスタンダーズ・トリオの演奏の中に、形を変えて息づいている。


結論として キース・ジャレットにとってマイルスとの日々は、音楽的な「野生味」と「空間の支配力」を叩き込まれた修行の場であり、マイルスにとっては、自身の革命を加速させるための最強の起爆剤を得た幸福な時間であったと言えるでしょう。

4月にこの映画が公開、面白そうです。