村山さんの器は、料理や花が映える器、自然体がもたらすものだと思っています。

村山さんの器は、料理や花が映える器、自然体がもたらすものだと思っています。
一本調子に暑くなってきて、このまま夏か?の表情は、そうじゃなくて、独特の雨の季節がやって来ます日本の天候。梅雨寒ってやつです、暑いんだけど寒いって、その時にこのシャリ感コットンニットの7分袖が重宝するのです。大人お洒落を体感している人にしか企画が出来ないアイテムだということを知っています。大人な服は量産品の標準化の企画にはあてはまらないのです。服を知る。色もいいですよこの色は、顔映りがどなたさまにも。そしてワイドなボディシルエットは裾絞りだしでモードな表情を漂わせてもいます。(完売しました)
日本の梅雨空
部屋に置く置時計ならこれしかない。今時目覚まし時計は携帯がスヌーズまでしてくれるから。そういう意味で壁掛け時計よりもリビングのボードには、こういった優れた形がこころを和ませてくれる。男の大人だけの感情ではないと思うのだが。文字盤の美しさに魅了されてしまったのだ。この時計には目覚ましの機能などはないのだ。
丸っこい四角形のこの時計は、昔の真空管テレビのイメージでデザインされている。 デスクなどに置いても見やすい様に、上向きに角度をつけている。 また、材料は木目のはっきりしている楢材を使用している。 文字盤は活版印刷で制作しており、風防にはガラスを入れてある。 単3電池を使用し、カチカチと動くステップタイプ。 幅140 × 奥行50 × 高さ110 ミリ ¥26,400-
いいものに出会う、目利きのお手伝い。ただ高いもの、安いもの、中庸だけの価格でない、心のプレミアムをウチはお届けしています。
昔の真空管のテレビのイメージ=この言葉にやられています。よくこの角の角度や無垢のくりぬき、やりとげましたね。センスのあるアルチザンの仕事です。
左のマリンデイの優れバッグの春バージョンは完売しました。色を変えて、次回は秋の入荷です。お待ちくださいね。革がすばらしくよくってね。
うちの安定したヒット定番、もう7年目に向かい始めた、安土草多、田中俊介という安定した定番。始まった頃の何もなかった店には安土さんと田中さんの作品だけがあったなぁ。。。MWL ならコレな三つのブランド。
マーケットバッグのリンダのハンドルをカスタマイズ。後ろは一年前のもの、少し黄色がかった、いい色に経年変化、前は当年もの、緑っぽいですね。ハンドルはレザーの端切れを買って自分で縫います。出来ることはなんでもする、プリミティヴなハンドソーンのバッグの由来をリスペクトしています。(これは去年の写真から)リンダは今店頭に2個の在庫があります。
日常の何気ないお買い物に気持ちを込めるために、MWL STORE からの提案です。
Made With Love な MWL STORE
元町のフランス料理店の老舗、ラ・バンリューさま。いつもながら、なんと美味しそうで、かつ美しいのでしょうか。光栄にも私どものジュンチャバリのお茶をメニューにご採用いただきました。ありがとうございます、無常のよろこびでございます。
村山光生さんの窯は西洋式の焼窯。ヨーロッパのガラスの窯を参考にたったの24時間で焼成されるという、謂わば画期的な薪窯を自ら考案し築窯されている。この発想も僕から見るとカーボンオフセットに直結する。普通、立派な登り窯などになってくると三日三晩とかというような声をよく耳にするのだ、三日三晩ともなると使う木の量も、求める温度に応じて多くなる。それをたったの一日、少ない燃焼と短い時間でいながら、高い燃焼温度を継続されるという、薪窯に時代が求める要素がそこにいくつもあることになる。そしてそもそも燃やしている燃料も廃木材ということがある。カーボンオフセットの視点で注目すべきところがいくつもあるように思うのだ。
一昨日に横濱に荷物が到着して、ワクワクしながらの開梱作業を一人でしている。当然のことながら、産地、村山さんの陶房で見た感覚とはまた違う目でいる自分がいる。焼き物屋の主人の目、200個ほどの作品はひとつもどうもなっていなかった。まずそれが何よりである。
ひとつひとつを開けてみている、思ったのはやはり「薪窯」は違うだった、全然違う。これはいくつものいろんな産地・作家さんたちを見てきて初めてわかること。力強い、とても、そう思う。何がそう感じさせるのだろうと、開けながら自問した、なんとなくとか感覚的にとか、良いようにいいたい、自分の飾ったことばを謂っているのか、、、何度も自分を問うた。
いや、違うな、強さが違うな、釉薬が違うな、光とか、色と、生地の色と、それが焼けて焼け色がでる接点が表面に出ている、それがガラス質になって、それもなんか分厚いのだ、輝く都市=ル・コルビュジェ が如く、石川町の小さな陶器店に舞い降りてきたのだから、なんともだ。光り輝いている。
この青磁という色の複雑かつ執拗な美しさなのだが、たくさんの塊が来て、初めて感じるものであった。一個一個見ていて、丁寧にテーブルの上に置いてみてそう思う自分がいる。あらためて「青磁」だな、美しい。たくさんが揃うと初めてそのウィービングされたストーリーがわかるのだ。
綾部にお邪魔した時に、時を同じくして、村山さんが灰をいただいているという、お客さんが、灰をもって来られていた。その時はその話、持ってこられている事実だけが記憶のメモリーに入っていたが、、、今、それを想い反すと、この光がそれだ、それの光がここにある。ということに至った、全てにおいて無駄が無い、薪、窯、土は窯の周辺裏手で採れるもの、そして釉薬の灰だ。
話はそれるが、8年前に訪れていた、鳥取民藝の牛ノ戸焼の小林さんが、灰と釉薬の関係の話をしながら釉薬を作っている現場を見せていただいた、そして灰と釉薬の話を長くしていただいた。それも、その話もその当時はまだ周辺の話を支える知識は自分にはなくて、それだけがメモリーされていた、でも確実にメモリーしていた、とても大事な話なのだと小林さんも言っていた。それが、白雲窯でつながったのだった。
(今回はここまで、薪窯の話は続きます)