投稿日: 9月 04, 2020

CERAMIC STANDARD

カテゴリー: リスペクト, 私が選ぶスタンダード

このセラミックスタンダードの発行に際して、私が本自体の草案の制作を行いました。本の発行は2005年でしたが、私の頭の中には2003年頃からあり、2004年には誰にその本をデザインしてもらうかの選定に入り、当時類まれな紙媒体を作っていた伊藤くんにお願いしたのでした。当然のことながら発行する部数の大部分を引き取るという前提で、それによって、こちらの意思と思いの強い本の具現がなされるわけで。価格や発行部数を決定していきました。半年に一度のオールリセットボタンが入る、服の業界で本を発行しそれをシーズン超えてキャリーし売り続けるのは大変なことではありましたが。当時はまだ森正洋の本というか作品紹介は、堅い種類の図録とか目録、研究資料がほとんどで、もっと普通に、一般の消費者、特に若い世代、当時の次世代が手にとって、素敵だな、かっこいいなと思えるような本が無くて。それが欲しく作りたかったのです。何よりもそれに値する森正洋の全容だと思っていたからです。本当の素晴らしさとスゴさの理解がもっと進むとね。そして服を含めた新しい生活のスタンダードなスタイルがここにあると思っての発行だったわけです、スタンダード。もう学術的に素晴らしいという紹介のものはありましたから。。。そういう意味で森正洋を研究した、最初の素晴らしいデザイン本だと思っています今も。私がやりたい、いいなぁと思う表現は全て入っています。この後になって森正洋本は色々と出てきてはいます。ただしこの本はすでに絶版本です。amazonの古本であります。もう2度とは作れないだろう。この本が発行された年の秋に森先生は逝去されました、忘れもしない虎ノ門の居酒屋で飲んでいた時、20時45分頃に携帯に入電があったのを。でも発行時に先生にお見せして、とても、とても、喜んでいただいたことが、僕の最高の喜びです。

投稿日: 9月 03, 2020

デザインモリコネクション展 開催中

カテゴリー: リスペクト, 私が選ぶスタンダード
動物オーナメント 1964年発表 森 正洋 今見てもなんというモダニズムだろう。
これらの「森デザイン」が生まれたのは日本が圧倒的な成長に沸き始めた頃。まだmonoが不足していた時代、ここで言われている多くの人々というのは工場に従事している人であったり大衆であったわけで、それをいかに価格を抑えながら、量産化して、量的な普及に務めること、そして産地に潤いと作っている人の幸福をもたらすこと、さらにそこには、毅然としたデザイン哲学が存在するという、日常使いの中に存在するデザイン、それぞれの相反する要素の追求。工場で多くの人たちが関わり生産するのに、ちゃんとアートな手がかかる部分を残しているところとか、平めし茶碗が全くそうで、いまだに人が描いているものがあるのだから。先日見たバウハウス展の中でも同じような思想の部分の解釈を見た。美しいデザインがいっぱいあった、もうモダンというのは、ほぼこの時代に出尽くしていたのだなぁとバウハスのデザインを見ても思っていた。プロダクト、フォント、グラフィック、それぞれのデザインはこの当時で出尽くしているんじゃないか、これらに学ぶところがまだいっぱいあるんじゃないか、本当にこれらを見て学んでいるのか? これら以上に優れたデザインって何なのだろうって。是非バウハウス展をご覧いただきたい、まだやっているので、残り少ない期間だけど。グッドデザイン賞を112個持っている個人ってまぁいないです。また新聞や雑誌に取り上げられることがなくなっているけど、是非取り上げて欲しい、まず周辺から学んでから、バウハウスやミッドセンチュリーですね、どうしてそれらが出てきたのかというところから。

この写真の森先生がちょうど僕が会っていた頃2003年前後だ。辛口だった、でもユーモアたっぷりな表情も見せて。デザインに対して、いろんなたとえ例を街中の事象、つまりリベラルアーツ、社会潮流から引用して話されていたのがとても興味深くって、あらゆるデザインについて話されていたように記憶する。その時にファッションだなぁ、って思ったのです、モノは充足してしまってもうずいぶんな頃だったけれど、何が足りないってファッションという視点(生活用品の)だろうと、その時に「森デザイン」を俯瞰して見た時にこれはファッションだろうと思ったのですよ。この当時それからですよね、ファッションの店に食器だったり、家電だったりが始まったのは、今や当たり前になってますけどねその頃は数店しかなかった本気でやっているところって。バウハウスとイームズと森デザインは似た思想が流れていて、それは工場を使うというところ、モダニズム、そして大衆、そこが民藝と反価(反対の価値)にある部分だと思う。ワシリーチェアはパイプを工場で曲げているし、イームズハウスの積層合板の壁面などは工場で作ることが生産性と価格に貢献した、(ヘーベルハウスの考えや無印良品の家の考えはそれらに影響を受けていると推測する、つまり生産性と強度とデザイン、つまりモダニズム)その中にどれだけデザインを入れるかということで、そういうモダニズムの矛先のきっかけを見つけた人達なのだと思う。

投稿日: 8月 19, 2020

旅に同行した急須

カテゴリー: リスペクト

少し前の話です。常滑の伝統工芸士「清水北條」さんの息子さん「清水小北條」さんと縁があって、私自身が彼のパーソナルヒストリーをとても気に入り、その性格やあえて二つ持つ仕事から学ばれているリベラルアーツな要素にどんどん興味を持ってしまい、また話すればするほど、その魅力的な人柄と繊細で大胆とも言える作風に惚れ込んで行ってしまったのでした。そして私どものためにお創りいただくことになり、それから小北條さんの急須だけは常に店頭に並んでいます。そんな小北條さんがある日、僕にこの旅に持って行ける急須を送ってきてくれて、プレゼントいただいたのです。まあその時の僕の喜びようはなかったと思いますし、少なくとも三回は跳んでいましたね、その時の事を今は表現できるものではありませんが、とにかく嬉しかった。煎茶を愛するものとして、茶を生業とする端っこに居始めた人間として、これらはとても嬉しかったです、今もこれを見る度に同じ思いが込み上げてきます。

僕は当時の仕事柄、年に4回ほど海外に行くことがありました。その時に同行できますよね、というのが彼からの「プレゼン」それがプレゼントだったわけです。まさしくそうなのですね、これがあればどこででも美味しい煎茶が飲めるわけですから。それ以来、旅する急須となったわけです。日々のハードなワークの中でどれだけ私を癒してくれたでしょうか。

歳の差はある二人ですがお茶を思う気持ちは一つです。

朝のお茶、伊勢茶:百年乃茶でいただきました。自分製チーズケーキと共に。旅急須、二重の蓋になり、この被せたふたが湯呑みになります。
僕のSEIKO好きも知っていて、茶にとって、要の「時間」を測るために付けてくれたのですよ。蓋裏にはMWLの刻印、蓋も急須の中に収納できるのです。時計もね。ムフフ。お皿は常滑のセンス:盤、チビカップは安土草多。盆、尾池豪。私にとってのオールスタープレイヤーが揃いました。バンダナは旅茶器を包むために用意していただいてました。キャピタルのバンダナ、図柄がいいですよ。

清水 小北條との急須の世界/ MWL STORE