
4月 20, 2025

投稿日: 4月 20, 2025
投稿日: 4月 18, 2025
投稿日: 1月 26, 2025
KAAT とは神奈川の文化的な始まりの礎の街、山下町のNHK横浜支局と同じビルにある芸術劇場のことです。うちの店元町からだと石川町の駅ぐらいまでと同じぐらい、歩いて15分ぐらいの近さにあります。
「3つのつくる」をテーマとする創造型劇場
モノをつくる 芸術の創造
演劇、ミュージカル、ダンス等の舞台芸術作品を創造し、発信します。県民の財産となるようなオリジナル作品を創造し、次代に引き継ぎます。
人をつくる 人材の育成
舞台技術者、アートマネージメント人材など文化芸術人材を育成します。より良い作品創りのために、劇場スタッフが施設利用者をサポートします。
まちをつくる 賑わいの創出
公演事業の積極展開、創造人材の交流及びNHK横浜放送会館を始めとした近隣施設との連携により、賑わいや新たな魅力を創出し、地域の価値を高めます。
この神奈川芸術劇場/KAATに於いて、2025/2/8(土)~2025/2/22(土)の間開催されるお芝居大衆演劇・新ロイヤル大衆舎 vol.2「花と龍」北九州・若松港を舞台に、ゴンゾと呼ばれる荷役労働者たちが独特の気風を誇りに活躍していた激動の時代の物語です。
ここにおいて、全く稀有な試みとして、劇場内にお芝居小屋が出現します。さらには舞台上には特設屋台が並び、開場中に地域の店舗などが出店して賑わいのある市場をつくります。屋台は実際に公演の前の45分間には販売もします。また、客席前方には桟敷席を設置し、臨場感のあるご観劇をお楽しみいただけます。
このお芝居の中の屋台の部分に出る店舗として、MWLも市場の構成に一役かっています。
主たる出店店舗としては、元町商店街から、MWL STORE、ウチキパン、キャラバンコーヒー、愛知屋角打ち、などなどの店舗が屋台に圧縮して出店します。販売時間はお芝居の始まる前の45分ほどですが。屋台そのものはお芝居中も舞台装置として残っています。お酒も販売ですよ、すごいな。うちはアナナスのティソーダで出店します。お芝居見ながら、日本のパン屋さんの元祖、ウチキパンさんのパンとハイカラMWLのアナナスティのフランス🇫🇷の香り高いティソーダとどうぞ。元町はハイカラタウンですから。
という、かなり稀有なシチュエーションにてイモーショナルかつアーティスティックな現場に期待・大が生まれてます。
これは面白いでしょ、お話が来た時にいの一番に手を挙げましたよMWLはね。ハイ!参加させて下さいとね。
みなさんお待ちしてます。芸術を観にきてください、チケット購入お願いしま〜す。
投稿日: 12月 15, 2024
私がこの地(となり街の石川町で起業し元町へ昨年春に移転してきて併せて9年目)にお店を出そうと思った理由に「お茶」の存在がありました。やがては紅茶までというカメリアシネンシスという茶ノ木の存在です。茶(煎茶・紅茶)が好きだった、その文化的背景や紅茶においては欧米(特に仏国)におけるスタイルを含めて。それらがお茶を始める理由でございました。
日本において江戸時代に長く続いた鎖国という状態が、世界でも例を見ない日本人皆が持つ美徳の重要な部分であると言える、ほぼ無血革命の江戸から明治に至るレボリューションは部分的(九州南部、東北の一部)な戦いはあったとは言え、日本全土までの大きな内戦に至らなかった、特に政権の中心になった徳川と明治政府への政権移譲は無血で江戸においての戦場化は避けられた。それにより守られたさまざまな文化が存在しています。その鎖国という時代から開国という時代への国を開き外国文化を受け入れ、通商によって国を豊かにしていくという、今の自動車産業を軸とする日本の輸出大国体質の雛形はこの時を始まりとすることになリました。
その当時の数少なく欧米に通用する輸出品目の重要なものは、茶と絹製品でありました。その名残として歴史的な絹の関連施設が港沿いに残る中区山下町でもあります。
山下町から日本大通りにかけての東半分と山手町(今の海の見える丘公園を始まりとしたあたり)などの海沿いには旧居留地がありました。日本の文明開花、ハイカラ文化はここを始まりとします。日本が諸外国に正式に開国・開港の申し渡しをした地は、1854年和親開港の下田、同1855年の函館、そして正式な開港として1859年の下田から横浜への移管としての横浜、長崎。その約10年後の神戸、そのさらに1年後の新潟が、文明開花、開国の礎となる開港五港と呼ばれています。浦賀に現れた黒船は当時北太平洋で活躍していた米国捕鯨船の安航(安全な航海)のための、燃料の補給や食料物資調達、乗組員の休暇などのための通商を考えていたようです。国を攻めにきたわけでも植民地にしようとしたわけでもなかったわけです。この当時以降、横浜はお茶とシルクを輸出する重要な拠点港になりました。日本のお茶は横浜から海外へ。実は横浜港とお茶は深い関係があったわけです。「蒸気船と上喜撰」です
横浜が開港してすぐに、横浜港からの重要な海外輸出製品は「お茶」になりました。横浜港周辺には伊勢地方を含めて全国などからも「荒茶」が集まり、横浜港周辺にたくさんできた製茶工場で仕上げて高級煎茶あるいは烏龍茶として輸出されていきました。そのくだりは横浜開港記念館に資料として存在しています。静岡の清水港が産地直結の港として明治後期に機能するまでの40年ほど、横浜港は重要な役割を持ったお茶の海外への輸出港だったわけです。横浜とお茶は深いかかわりがあったのです。伊勢山皇太神宮や伊勢茶の輸出拠点、横浜と伊勢は浅からぬご縁を感じています。
MWL STORE ORIGINAL’S お茶の名前を「蒸気船」としました。ペリー来航の「蒸気船」と、江戸時代当時、人気のお茶の商品名としての「上喜撰」を彷彿とさせています。横浜らしい名前になりました。横浜ならではの「お茶物語」。MWLのオリジナルのお茶「蒸気船」の中身は真に美味しいお茶、横浜らしい颯爽とした風の吹くお茶を ! と厳選され、伊勢の清流・宮川流域の大台町で栽培されるお茶をお願いしました。清流宮川と大台山渓の山々に囲まれた自然豊かな環境、日本有数の雨量、しばしば立ち込める深い霧、激しい寒暖の差。大台町はお茶の栽培に絶好の環境で、三重県内でも有数のお茶どころです。宮川はその源流を大台ヶ原までさかのぼります。源流の一滴は大台ヶ原から伊勢市内まで流れて行く豊富で伊勢ならではの清涼なる水源です。日本の茶産地は数々あれどこれほどの豊かな背景を持つ産地はなかなかのものでございます。特に水の豊かさの中で育つ茶の木の存在です。そして聖なる地の奥地という関係性でございます。
遠く、この港や大海を超えて世界へ飛び立った伊勢茶へ思いを馳せて、私は横浜港を見ながら日々を暮らしています。
そしてMWL ORIGINALSのお茶のもう一つが、「ハイカラ」です。上記のような理由において港に入った海外の船からはたくさんの異人さんが降りてきて街を闊歩するようになりました、航海の疲れを癒す街の物資や商店の存在の必要性が元町の商店街の礎になっています。始まりはそこからです。船員の人たちに売る航海に必要な物資、あるいは彼らによりもたらされた、海外製品の数々はこの街を歩いたであろう「ハイカラ」さんをルーツとしています。ハイカラという言葉はその異人さんが着ていた、襟の高いシャツ、つまりハイカラーを語源としています。
ハイカラは、慶応元年創業「伊勢茶のかねき伊藤彦市商店」さまにお作りいただいているMWL STORE のオリジナルの抹茶⼊りのお茶です。その内容は、まず抹茶には、
宇治の老舗の京都産⽯⾅挽き宇治抹茶を使⽤しています。お茶の重量に⽐した抹茶を混ぜています。そして、茶葉は北勢地⽅⽔沢の⽟露と南勢地⽅⼤台町栃原の中蒸し煎茶を合組しています。抹茶、⽟露、煎茶 と、三つの個性の全く異なるお茶が重なりあってハイカラという名の調和が⽣まれました。個性の違うお茶がそれぞれの良さを出しながらもそれぞれに無い部分を補いあい、相⼊れないものだと思っていても、重なれば⾃然に新しい調和が⽣まれています。
ハイカラという名にふさわしいお茶が⽣まれました。
上記のように歴史的、文化的に、この元町にあって相応しい、日本のお茶二つがここに生まれているのでございます。
このお茶二種はMWL STOREの商いの始まりの根幹でございます。
開国開港の地、元町の茶商のお茶をどうぞお召し上がりくださいませ。
ずっとこの茶を売り、守り続けています。
LIKE NO OTHER はMWL STOREのこと
他にない商品がここには並びます 射抜く目と物語の創出
元町の茶商 MWL STORE
秘すれば華
過去作品より 形は似ていても、全く同じものは二個とありません、吹き硝子だからです
吹き硝子の安土草多さんの作品、ランプ、花器にも魅力的な作品は多く、多様な創造性
元町一丁目MWL STORE 開国開港の礎の元町 日本の西洋化はこの街から
日本一美しいライトアップの街
安土さんの個展、最初の二日間はオンラインから予約お願いします。
LOVE❤️🎄石川町と元町と中区、僕らを育てていただいている街
地方にお住まいの方はBOYNA online からどうぞ、お近く、横浜の方はうちの店頭で、その本質の手触り、試着、詳しい説明がついてくる、勿論受けなくてもいいですが、より商品の優れた意図がわかるという、店頭にも時間のある時にでもお越しくださいね。元町中華街駅という東京急行の東横線終点駅から2分、京浜東北根岸線の石川町駅から元町本通りを歩いて10分です、この地で生まれて来年には10年に向かうことになります。よくぞこの地でみなさまに支えていただきました。御礼と感謝。これからも、真に新しいセレクトショップの雛形として、お洋服半分、生活品セレクト半分の他のどこにもないお店の立ち位置でやってまいります。さらに紅茶のオリジナルブランドを立ち上げております、だから三つの軸になります。この紅茶がうまいのよ、これも他に絶対にない商品です。翔平みたいに三つを追う、投げる、打つ、走るです。
元町通りのイルミも1日から始まりました、日本一輝く商店街、元町、山下、山手の元町通り商店街です。
フェニックス!
今年もこのシーズンがやってきます。山下町、元町がキラキラに、日本一の夜景 横浜ベイサイド
平日は人も少なく、じっくりとお選びいただけます。
[器は学び] その景色
陶磁器の中でも現代の名作に出会い、その使い良さを知っていただきたいですね。
特に”安南” 安南とはフランス統治時代のベトナムの北部から中部のことを言いまして、文化歴史的エリアとなります。(ベトナムの染付は、中国の青花磁器の影響を受けて作られたやきものです。 15~16世紀、黎(レ)王朝(1428~1789)のもと、 中国・明王朝(1368-1644)の景徳鎮窯(けいとくちんよう)の青花磁器の影響を受けたやきものが作られるようになりました。 これがベトナムの染付です)
室町後期、安土桃山から江戸初期にかけての日本の芸術が最も急激に進化した時代後の背景には江戸時代に、このような安南の陶器が大量に交易交流されています。多くのベトナム、つまり安南の陶磁器が通商されていたわけです。その見たこともない絵柄は当時の人たちに大きな影響を与えていて、今に至っています。
素朴な柄はとても魅力的であって、さらに真泥さん特有の“薪窯”まきがま、木を燃やすことによって、ガスや電気がもたらす綺麗すぎる景色から、灰が降り注ぐ自然釉薬の効果が、真泥さん特有の薪の窯のクラッシックな表情が、この魅力的な創作になっています。これは傑出した造形の作品となりきっています。量産ではできない手法を時間をかけて一つ一つを仕上げて行き、さらに薪窯の計算できない、創造性が相まって、その美しい表情が構築されるのです。すべての工程に手がかかっています。
これが魅力的でないわけがありません。
工程を知ることによって、作家が想いを込める、陶磁器の優れた作品性に気づくことになるわけです。
「村山朋子」の安南を知っておいていただきたいのです。
私どもが夢中になるゆえんです。歴史を知れば知るほど、魅力的に見えてしまう。
MWL STOREが扱う製品はどれも、”学び”とともにあります。大人が持つにふさわしいモノとコトのこと。