なかなか手に入りにくい物が集結しています。ごく一部をご紹介
one and only この時期にここでだけのアイテム群 3日の予約まだ空いています。
持つことに意味がある陶芸家の作品群、この時期の始まりが頂点です。三日のご予約入場をお待ちいたしております。いいものを、あるうちにどうぞ
美術品商・MWL STORE
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お飾りを来年のものにしました。いつもお伊勢さんから来てはります。
来年も極端な右肩あがりで〜><^_^
投稿日: 12月 15, 2024
私がこの地(となり街の石川町で起業し元町へ昨年春に移転してきて併せて9年目)にお店を出そうと思った理由に「お茶」の存在がありました。やがては紅茶までというカメリアシネンシスという茶ノ木の存在です。茶(煎茶・紅茶)が好きだった、その文化的背景や紅茶においては欧米(特に仏国)におけるスタイルを含めて。それらがお茶を始める理由でございました。
日本において江戸時代に長く続いた鎖国という状態が、世界でも例を見ない日本人皆が持つ美徳の重要な部分であると言える、ほぼ無血革命の江戸から明治に至るレボリューションは部分的(九州南部、東北の一部)な戦いはあったとは言え、日本全土までの大きな内戦に至らなかった、特に政権の中心になった徳川と明治政府への政権移譲は無血で江戸においての戦場化は避けられた。それにより守られたさまざまな文化が存在しています。その鎖国という時代から開国という時代への国を開き外国文化を受け入れ、通商によって国を豊かにしていくという、今の自動車産業を軸とする日本の輸出大国体質の雛形はこの時を始まりとすることになリました。
その当時の数少なく欧米に通用する輸出品目の重要なものは、茶と絹製品でありました。その名残として歴史的な絹の関連施設が港沿いに残る中区山下町でもあります。
山下町から日本大通りにかけての東半分と山手町(今の海の見える丘公園を始まりとしたあたり)などの海沿いには旧居留地がありました。日本の文明開花、ハイカラ文化はここを始まりとします。日本が諸外国に正式に開国・開港の申し渡しをした地は、1854年和親開港の下田、同1855年の函館、そして正式な開港として1859年の下田から横浜への移管としての横浜、長崎。その約10年後の神戸、そのさらに1年後の新潟が、文明開花、開国の礎となる開港五港と呼ばれています。浦賀に現れた黒船は当時北太平洋で活躍していた米国捕鯨船の安航(安全な航海)のための、燃料の補給や食料物資調達、乗組員の休暇などのための通商を考えていたようです。国を攻めにきたわけでも植民地にしようとしたわけでもなかったわけです。この当時以降、横浜はお茶とシルクを輸出する重要な拠点港になりました。日本のお茶は横浜から海外へ。実は横浜港とお茶は深い関係があったわけです。「蒸気船と上喜撰」です
横浜が開港してすぐに、横浜港からの重要な海外輸出製品は「お茶」になりました。横浜港周辺には伊勢地方を含めて全国などからも「荒茶」が集まり、横浜港周辺にたくさんできた製茶工場で仕上げて高級煎茶あるいは烏龍茶として輸出されていきました。そのくだりは横浜開港記念館に資料として存在しています。静岡の清水港が産地直結の港として明治後期に機能するまでの40年ほど、横浜港は重要な役割を持ったお茶の海外への輸出港だったわけです。横浜とお茶は深いかかわりがあったのです。伊勢山皇太神宮や伊勢茶の輸出拠点、横浜と伊勢は浅からぬご縁を感じています。
MWL STORE ORIGINAL’S お茶の名前を「蒸気船」としました。ペリー来航の「蒸気船」と、江戸時代当時、人気のお茶の商品名としての「上喜撰」を彷彿とさせています。横浜らしい名前になりました。横浜ならではの「お茶物語」。MWLのオリジナルのお茶「蒸気船」の中身は真に美味しいお茶、横浜らしい颯爽とした風の吹くお茶を ! と厳選され、伊勢の清流・宮川流域の大台町で栽培されるお茶をお願いしました。清流宮川と大台山渓の山々に囲まれた自然豊かな環境、日本有数の雨量、しばしば立ち込める深い霧、激しい寒暖の差。大台町はお茶の栽培に絶好の環境で、三重県内でも有数のお茶どころです。宮川はその源流を大台ヶ原までさかのぼります。源流の一滴は大台ヶ原から伊勢市内まで流れて行く豊富で伊勢ならではの清涼なる水源です。日本の茶産地は数々あれどこれほどの豊かな背景を持つ産地はなかなかのものでございます。特に水の豊かさの中で育つ茶の木の存在です。そして聖なる地の奥地という関係性でございます。
遠く、この港や大海を超えて世界へ飛び立った伊勢茶へ思いを馳せて、私は横浜港を見ながら日々を暮らしています。
そしてMWL ORIGINALSのお茶のもう一つが、「ハイカラ」です。上記のような理由において港に入った海外の船からはたくさんの異人さんが降りてきて街を闊歩するようになりました、航海の疲れを癒す街の物資や商店の存在の必要性が元町の商店街の礎になっています。始まりはそこからです。船員の人たちに売る航海に必要な物資、あるいは彼らによりもたらされた、海外製品の数々はこの街を歩いたであろう「ハイカラ」さんをルーツとしています。ハイカラという言葉はその異人さんが着ていた、襟の高いシャツ、つまりハイカラーを語源としています。
ハイカラは、慶応元年創業「伊勢茶のかねき伊藤彦市商店」さまにお作りいただいているMWL STORE のオリジナルの抹茶⼊りのお茶です。その内容は、まず抹茶には、
宇治の老舗の京都産⽯⾅挽き宇治抹茶を使⽤しています。お茶の重量に⽐した抹茶を混ぜています。そして、茶葉は北勢地⽅⽔沢の⽟露と南勢地⽅⼤台町栃原の中蒸し煎茶を合組しています。抹茶、⽟露、煎茶 と、三つの個性の全く異なるお茶が重なりあってハイカラという名の調和が⽣まれました。個性の違うお茶がそれぞれの良さを出しながらもそれぞれに無い部分を補いあい、相⼊れないものだと思っていても、重なれば⾃然に新しい調和が⽣まれています。
ハイカラという名にふさわしいお茶が⽣まれました。
上記のように歴史的、文化的に、この元町にあって相応しい、日本のお茶二つがここに生まれているのでございます。
このお茶二種はMWL STOREの商いの始まりの根幹でございます。
開国開港の地、元町の茶商のお茶をどうぞお召し上がりくださいませ。
ずっとこの茶を売り、守り続けています。
LIKE NO OTHER はMWL STOREのこと
他にない商品がここには並びます 射抜く目と物語の創出
元町の茶商 MWL STORE
この時期に独特の表情を魅せてくれる、硝子の作品は他にない。
集めて集めて、自分の食卓のガラスには安土コレクションしかない。
コレクションと呼べる作品です。お店もそうだ、特殊な用途の硝子の数個、以外は安土さんのものだけだ。
これまでもこれからも、やる必要を感じない、それがうちの主張であります。
というか好きだからという、高山で初めて拝見した時からそうだった。創られている表情とスタンスにあまりにも感動したからだった。今、想ってもそう思う。
他にはないグラス、LIKE NO OTHER この言葉がふさわしい。
Playful Mind
Logical Inspiration
Love Difference
この言葉が好きで、いつも心においている、安土さんの作品にも感じることですね。
今日も逸品の展示会やってます。ランプがいいよ^^是非ね。みんなでお待ちしてます。
日本茶インストラクター協会から自分宛に送られてくる「茶論」、今回の特集は急須、急須と言えば、常滑の「磯部商店」さんの磯部宏行さんである。
自分は2015年から、日本茶アドバイザーの資格を取るべく、静岡の葵区にある日本茶インストラクター協会静岡支部まで、講習と実地、産地訪問のために半年間通っていました。東京で学ぶこともできたのですが、ここは聖地に赴(おもむ)かなあかんやろ、基礎から叩き上げる、静岡や、と、新幹線で週末になると通っていた。おかげで「茶の本質」のいろんなことをお教えいただきました。
そんな関係で2016年に静岡で行われた「世界お茶まつり」の存在を知り、行って、主にお茶の目的で行ったのに、そこで磯部さんご夫婦に遭遇してしまったわけで、まさに「未知との遭遇」そこからが急須の始まりだった。なんという美しいものが存在するのだと、お教えいただいたわけだ、感動しまくって、2回もそのブースを訪れては、いやぁすごい、すごいを連発していた自分。全部欲しいワと、そんなことでMWL STORE元町の急須は始まり。
まだ孝幸というネームで清水小北條という雅号を使っていなかった、宏行さんと幼馴染の同学年の孝幸さんをご紹介いただき、MWLとのコラボが始まったのでした。
てな、ことで、うちの店の経緯のルーツに多大なる貢献をいただいております。磯部さんご夫婦、ご家族であります。
まぁ、今も大変お世話になっていまして、お礼の申し上げようもございません。急須と茶の普及に横浜で邁進するのみでございます。
来年も初っ端からお正月の急須の初売りを行います。
実にたくさんのお客さまにお越しいただきまして、ただただ驚いております。「手紙社・紅茶フェス」の凄さですね。関係者さまのご尽力に、お買い上げいただきましたお客さまに御礼申し上げます。
まずアナナス・ティが本格的に周知スタートしましたことをよろこび、課題も見え、次に向かうことに。いろんなところで、見ていただき、お手に取っていただけることになりますよう、日々を過ごしてまいります。
地方にお住まいの方はBOYNA online からどうぞ、お近く、横浜の方はうちの店頭で、その本質の手触り、試着、詳しい説明がついてくる、勿論受けなくてもいいですが、より商品の優れた意図がわかるという、店頭にも時間のある時にでもお越しくださいね。元町中華街駅という東京急行の東横線終点駅から2分、京浜東北根岸線の石川町駅から元町本通りを歩いて10分です、この地で生まれて来年には10年に向かうことになります。よくぞこの地でみなさまに支えていただきました。御礼と感謝。これからも、真に新しいセレクトショップの雛形として、お洋服半分、生活品セレクト半分の他のどこにもないお店の立ち位置でやってまいります。さらに紅茶のオリジナルブランドを立ち上げております、だから三つの軸になります。この紅茶がうまいのよ、これも他に絶対にない商品です。翔平みたいに三つを追う、投げる、打つ、走るです。
元町通りのイルミも1日から始まりました、日本一輝く商店街、元町、山下、山手の元町通り商店街です。
フェニックス!
本日届きました。ほんとうにありがとうございます!
もうね、ことばになりませんわ。
なんかね、僕は宝塚生まれの宝塚育ちの人間で宝塚愛は特別強いですが、それでもやっぱり、そこら辺の人が行き出す、高校の高学年の頃から、やっぱり京都は特別でね、行きましたわ阪急で。特に夏や、夏。幼馴染の友人もいて、その子を通じでなんとなくを知って行ったわけです、高校、大学の夏は必ず祇園さんに行ってましたわ。やっぱり京都は大学生の街っていう碧いブルーな感じがする、青春色の想い出やね。北山杉、そんな思いがこのビデオ見てると、泣けてくる、現地行って、現物見るよりもこんなビデオの方がなんかジーンとして、泣ける。ええなぁ、京都行きたいなぁ。。。
今週土曜日から森さんの「平形めし茶碗展」です。あらためて茶碗を見つめてください。この優れたものを後世に残していきましょう。九州の想像力の力を。ウタもね。
2002年に行われた作品展の当時の東京国立近代美術館の冊子。これこそがその後の私に「セラミックスタンダード」の本を企画しようと思わせた、源流の一滴の美術展だった。栄久庵憲司さんの珠玉の「論」だった。この文章に震えるほど感じたのだ、当時からすでに世にあるデザインに密接に接していた自分にとって、高潔にして稀有な理論を展開していたから、そして森正洋を一般にわかりやすく表現していた本も一つもなかったから、これは出番ではないのかと思ったからだった。(2019年10月31日 初稿 コラム 百々 徹)