投稿日: 5月 28, 2024

民藝

カテゴリー: 開物成務

東大前に民藝館があるのに、どうして、世田谷が?と思いはしたが、都会の特別な美術館としての世田谷だから、また、違うのかな、と思い直し、こりゃ見ておかないとダメでしょうと。。。ムリクリの火曜日朝に店開く前に行くデ。でした。

予想通り、いいものでした。豊かな表現センスの都会的視野を持つ世田谷美術館ならではでないかと思いました。

コンパクトにまとめ、言いたいことは言って、その展示センスがとてもいい。

 
 
 
僕が民藝をずっと見てきて、あるとき思ったのはやはり、ブルジョワジーとプロレタリアートの関係というか、やはりそれまで片方のすごいものしか見てこなかった教養高いブルジョワが、こういうプリミティヴがあることに気づき心躍らせたことが原点なのかなぁと、創作の視点の説明を読めば読むほどそう思ってしまっている自分がいた。もうだいぶ前ですけどねそう思ったのは。自分はね。白洲正子の工芸の視点とはまた違う。
家具が入ってくるとこうなる、民藝館ぽく
世田谷の小学生たちが校外学習で来て、ボランティアのおじいちゃんたちから話聴いていました。いい風景。
ここは元ビームスのテリーさんと北村さんが構成した部屋の提案。素敵でした。ビームスは存在が社会貢献していますよね。
これは常設のミュージアムショップ、宗悦の上の紫の本、安土草多さんの本ですよ。驚いた、すごいな、これで感動して嬉しくなってしまいました。すごい。ここに入るという、嬉しくて、今日一日が。
で、図録購入、エコトートも、カレンダーは家で使っているもの。本日の結論としてやはり民藝は素晴らしいです。何をも挟む余地がないくらいに。

投稿日: 5月 17, 2024

ヒマラヤ・ムーン

カテゴリー: Made With Love, アルチザンな人たち, ジュンチャバリ茶園, プリミティヴ, リスペクト, 和魂洋才, 開物成務

昨日東京で、Jun Chiyabari Tea Garden 純茶園さまからのスペシャルオーダーがありました。月の茶園セット、6セットを小北條さんと私どもとの3人でお届けさせていただきました。

茶園のファウンダーさまの来日に合わせて、ご説明やら、実際の使用などのプレゼンテーション、作家の小北條さんのご紹介などを含めて行うことでございました。

以前から私どもで、ジュンチヤバリさまのイメージを私と小北條さんとのイメージ擦り合わせにより具現化されていたヒマラヤ・ムーンのヒマラヤに登る月の満ち欠けの茶園、の急須Tea Potの作品のイメージでございました。

これらの取り組みを純茶園のファウンダーさまにとても気に入っていただきまして。今回のオーダーでございました。お届けの昨日もとても、大変、お喜びいただけました。

そして、茶園の話やヒマラヤの話など2時間にも及ぶ、楽しい茶会を開催いただきました。

何年も続けてきた私どもの取り組みで、とても嬉しい日、喜びの記念すべき日となりました。

ひとえに、このプロジェクトにここには表現として出てこない、間接的にもお関わりいただきました皆様のおかげでございます。あらためてここに御礼申し上げる次第でございます。ありがとうございます。

純茶園の無農薬の思想を思い、プラを使用せず、自然に還元する紙を使用しています。今後MWLのお店もその方向に順次切り替えてまいります。
MWLネームの刻印入り、石楠花(しゃくなげ・ネパールの花)あしらっている象嵌です。これは繊細ですごいです。
コンプリートセット 北條陶房
標高2千になろうとする、ヒマラヤ・ムーン 

港 元町 MWL STORE

投稿日: 3月 09, 2024

北山杉

カテゴリー: Philosophy, 街物語, 開物成務

趣里ちゃんを知ったのはこのドラマから。後付けでランちゃん・スーちゃん・ミキちゃんの娘さんやと、お父さんがアキラやとも知って、遺伝子がパンパンな子やんかと。ここの紹介には出てきませんが、京都の街にはなくてはならない、どこよりもレベルが高いパンの街の普通の娘さん役が際立っていました。言葉から当然関西人と思っていたら、違いました。

ここで取り上げるのはこのドラマの良さでなくて、この番宣の後に流れる三分ほどの唄、「北山杉」ですわ。僕には高校から大学まで一緒やった子がいて、重夫は幼稚園から大学まで、その子は京都の子やったから学校までは遠いから、ちょっと大きくなった高校からで、募集人員も少ないから僕らよりも偏差値は若干高くて。その子の家は四条からすぐの松原通り入ったところで、高三ぐらいの時からかなぁ、家によう行ってた、重夫とこかその四条の子の家におるって感じ。その子の家は西陣の大きな呉服屋さん、烏丸やったな最寄りは。京都の知らんことはみんなその子に教えてもろた記憶。ぼんぼんは大学になったらアルファロメオで来てた、その当時に新車のいいのがないと、あえて1750GTveroceというのに乗ってきて、なんやそれ、ええなぁって、アルファの前はお父さんが乗ってた、ルーチェというマツダの車、ロータリーので来てて、おっさんやな、が口癖で、どうしてもベローチェが欲しいと言うてた。その当時の想い出がこの「北山杉」これは歌謡曲やなくて、京都フォーク由来(くるりのルーツやね)やから学生には特に女子にはひびくわけで、そこからまた男の子がひびくわけでしたわ。みんなそんなんや。ま、とにかくこの「北山杉」は別もんやった、詩の内容からして、黒いダッフルコート着て、あのころ〜二人は〜き〜よ〜水の〜ながい石だん、のぼって〜おりて〜青春色の京都のまちを〜 なところが好きでね。最近ではさださんが歌っているけど、上手いけど、違うんやな、ま、あたりまえですわ。

大学になると、みんな場面が変わってきて、彼女とかがついてくる。そうなると、神戸のおしゃれなカフェやレストランパン屋は日常で、特別な春、夏、秋はやっぱり京都やった行くのは、女子がその当時からも喜ぶからや。特に祇園さん、京都の人にも、京都に入ってくる阪急で入る人にも、そこは必ず。(クルマで行ったら当時からえらい目に遭うから)グローバル関西の人らにも特別な時節に使う場所や催事であったわけです。趣里ちゃんの京都弁も大阪弁も上手いで、神戸弁というローカルもありますけどね。僕らが生まれ育った宝塚は微妙で大阪弁と神戸弁が混じってる、微妙なとこやね。おおきにぃ。

アキラってのは傷天のアキラのことやで。

もうそろそろ、洛中の人らにはお尻がモゾモゾっとする頃になってきましたな、今年も暑い夏がきはるで。月鉾〜

投稿日: 1月 31, 2024

御寺・泉涌寺

カテゴリー: 開物成務

御寺(みてら)の泉涌寺さん、皇室の菩提寺であります。御寺と呼ばれるのはここだけ。

京都にはたくさんのお寺さんがありますが、中でも寺建築で極めて美しいことで私を惹きつける。京都に入る、上洛するたんびに私を向かわせるのであります。凛とするという言葉が最も相応しい寺だと、私は思っています。

先の大戦の戦後まで700年、一般には閉ざされていました、拝観できるだけでも価値がある、御寺です。

 
センターでなくて右にずれている仏殿。この上に上がる秋の月は圧巻であります。
美しいですな。
創建当時の伽藍は京都の街を焼き尽くした、応仁の乱でほとんどが消失し、江戸時代の将軍家綱の命によって再建建立され現在に至る、高名なご本尊は運慶作である。今年は龍年であります、天井画の雲竜図・狩野探幽作に年まわりの人はお参りする価値があるように思う。
ここから先は不敬にあたるので写真は控えます。
泉涌寺・塔頭(たっちゅう)雲龍院の「走り大黒天」が今にも走ろうとされている。目の前で拝むことができます。泉涌寺ご本尊だけでなくて、龍の泉涌寺の塔頭にお参りしておくのにも意味がありますね。
悟りの窓
雲龍院にあるこの灯籠は意味があり、幕末の色々があってここに置かれています。調べればすぐ出てきます。

で、明日のあさイチで舎利殿を訪ねています。録画必要です。

投稿日: 1月 24, 2024

四寅さん

カテゴリー: 開物成務

錦のよんとらさん、通販やってはりまっせ。すみっコ(コはカタカナ)は別。センスええわ、ほんま。京都人の密かな愉しみを地で行く人たち、数少ない。洛中やな、文化がな。

投稿日: 1月 19, 2024

白岩 大佑さんの薪(まき)窯の急須

カテゴリー: Made With Love, アルチザンな人たち, 気になるもの。, 街物語, 開物成務

白岩 大佑(たいすけ)さんの、急須としては珍しい薪(まきとは木のこと)の窯の急須。ガスや電気でなくて木を使って焼いている、それによる恩恵は、焼きぐせがある、釉薬をかけない常滑で学んでいる、土を大事にする手法で土そのものと自然にかかってくる、あたかも釉薬をかけたような表情が特徴であって、それは焼き物をする人にはすぐわかるが、火の管理が難しく、歩留まり、つまり生産性、自分の基準を持つ人にとってはよくないものである。焼いたもの全てが作品になることは珍しく、作品となる基準を自分に課せば、上がってくるものはとても少ない、生き残るのはほんのひと握りである。それが本来の薪窯の性質なのだ、これで良しとして世に出すか、否かの世界で常に自分に問う製作の日々が続いていると言える。その見返りにどこにもない美しい表情を手にいれるとも言える。とても希少で貴重なのだ。当然のことながら、価格はそれなりの始まり方をする。焼いたもの全部が作品なるとは言えないからだ。

大昔は皆、木の焼き窯であった、名古屋周辺には1000から窯が存在していたと歴史にあるぐらい、それら全ては木で燃やしていたのだ。今や、いろんな背景があり、簡単ではない、土、燃やす背景、燃料としての木が容易に取得できる地政学的な背景としての立地、それらが全て揃ったとて、学びが必要になる、知見のことだ、生まれながらにない背景としての学び、焼き方やくせ、特徴のことだろう、それは教えてくださる先達に学び、それに加えてデザイン、ただ古いものでなくて、自分の考え、経験、地政学的思想すらを加味して初めて自分の窯になっている。北海道という豊かさである。それらは私たちが想像できる範囲のことであり、なんのなんの、それ以上の難しさが無数に日々対峙してたくさんあることが容易に想像はできるのである。

それらの現在の到達点を私たちは見ている、貴重であるとしか言えないし、レジェンド的な到達点でなくて、まだその半分ぐらいの年齢の若さで到達されているところに、驚きと価値があるように、この時代の白岩さんにである。少しこの世界を学べば容易に気づくことであるし、知れば知るほどに、その急須たちの表情がいとおしくなってくるのは私だけではないだろう。知っていただきたいのである。ただ美しさを美辞麗句で並べるだけでなく、本質をである。

簡単に表現してしまえば、すでに美術品の領域にある。日常使いがである。でも使ってなんぼである。

全ての種類で一律にうちは、税込で33,000円です。

 

 
なんとである、この難しいことをされている。
思わず微笑まずにいられない、蓋のつまみの景色 ここは特徴である、すべての作品の。これにも釉薬はかかっていません。いわば自然釉。スカーレット!
ため息すら出る、焦げパン色、つまりトーストだ、近年お亡くなりになったバーナード・リーチという日本民藝の始祖のお孫さんのジョンがイギリスで作っていた、ティーポットや鍋と表情が同じだ、それはそうだ、やはり木の焼き窯だからだ。焼き締める美しさがここにもある。トーストだね。作品性を理解しよう!
形、色、なんということだろう。
いい景色だ、さぞ美味しいお茶が呑めることだろう。伊勢路の奥、大台ヶ原から流れ出る水で育つ、煎茶で呑んでみたいのだ。MWL にはあります。ホーリーなエリアで育ったお茶が。神話の故郷からのお茶で、神話のような表現のある急須でいただこう。日本人のものづくりの原点。
全てが木箱に入る、それもかっこいい木箱である。どこを見ても詳細のセンスがいい。高いクルマもいいんだが、日本人として生まれて、持つべきは、茶を呑む急須ぞ。

投稿日: 11月 07, 2023

安土 草多 個展

カテゴリー: アルチザンな人たち, プリミティヴ, 和魂洋才, 開物成務

今年も「ぬくもりのガラス」「揺らぎのガラス」飛騨高山・安土 草多さんの個展を行います。

会期:11月17日(金)〜12月10日(日) 今年も初期日程にご予約日を設定させていただきます。詳細は近日中にインスタグラムと、再度この場にて公開させていただきます。

この時期のこの界隈の風物詩となりました。また、今年は初めてのMWL STOREの窓から見える元町通りのイルミネーションとのコラボのような表情になるのかなと思ってまして、元町らしい灯りが室内にも灯ってまいります。

MWL STORE元町は「暮らすように展示する、都会らしい部屋」をテーマにしています。ランプなどは実際の空間での見え方のとても参考になると思います。是非、お越しになりご覧くださいませ。

楽しみにしていただいている方々がたくさんおいでになります。年々少しづつ増やしていく愉しみをご提案させていただいていますことが私たちの歓びです。

 

以下、歴代のMWL STOREでの個展より。

「花と硝子」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

投稿日: 9月 27, 2023

Magazine for City Boys

カテゴリー: DESIGN RESEARCH UNIT / MWL YOKOHAMA, 開物成務

陸さんが対談で出ておられて、その話がとても面白い。こんな話は今でないととても聞けないホンネがありますね、読んでいて。1回目でまだ続くみたいだから。とにかくまずはアニエス・ベーを日本に持ってきた人で、アフタヌーンティーの創業もそうだし、少し前までの日本の女性のライフスタイルというのはこれらのブランドで醸成されたと言えます。スタバもロン・ハーマンも持ってきたのは陸さん彼らご兄弟でした。逗子の生んだインターナショナル人の第一世代の人たちのお一人ですよね。SUZUKIYAっていう日本で二番目のスーパー(一番は紀ノ國屋)がご実家ですね。やはり米軍の基地(横須賀など)が近くにありPAの存在っていうのは日常的に当時の若者を刺激し続けていたというコトだと思います。それがベースでそこから色んな人につながっていったように思う。多分そこら辺の話が次回に出てくるのだろう。City Boys の第一世代の陸さんです。ポパイの創刊は1976年、当時、男の子は重松さんのビームスで、女の子は陸さんのサザビー、サザビーの方が世に頭角を現したのが少し早かったように思う。いずれも逗子生まれで明治学院の人たちです。四年いるかいないかの大学生活なんだけれど、自分たちの風土に大きく影響するんですよね、18から22にまで、卒業するまでもなくてもね。たった一年でもそこにいるだけでね。とにかく若者よ、海外を目指せ、国内は萎むばかりだよこれからは。そう彼らは言ってますよきっとね。