先日お詣りした伏見さんから、新たな8年目のスタートから始まる無事の祈祷をお願いしたのが送られてきました。元町のお店づくりが始まったばかりですが、間に合いました。完成して置かせてもらいます。

先日お詣りした伏見さんから、新たな8年目のスタートから始まる無事の祈祷をお願いしたのが送られてきました。元町のお店づくりが始まったばかりですが、間に合いました。完成して置かせてもらいます。
今宵の良き夜、わかばさんのたい焼きと呑む、MWL オリジナル煎茶 ”ハイカラ” この港町から遠く世界へ出て行ったであろう、日本諸国の産地のお茶を想って、創っています。玉露、煎茶、抹茶の合組による、日本煎茶本来の持つうまさが極まる。ほんとうに美味しいハイカラさん。そして四谷見附の若葉町にあるから”わかば” リスペクトの老舗
僕らは常滑の急須を推す、まず第一に。それはこの店が始まって間もない頃、まだお客さまもそんなに多くはない頃に、この常滑の産地の方々から提供されている急須によって、お客さまが増えて行ったからです。恩義があるのです。僕らはそれをずっとわすれたことはありません。
何よりも常滑の人たちはみなさんあたかかい、これほど産地全体でそれを感じることはありません。急須というものを中心にして、それがよくなることに一生懸命であることを感じます。
だから、大和茶、出雲茶、伊勢茶とともに常滑の急須はうちにとって絶対の必須条件、それはこの店のある限り変わることはありません。それらはすべて、ほんとうにすぐれているほんものだからです。
シテンの視点 コラム更新しています。残り2回となります。
今回は柳宗理の話。作家の五木寛之や、柳宗理というその時代の寵児たちがどういうわけか移り住んだという金沢に興味を惹かれて。それも50年もの間、金沢美術工芸大学の教鞭をとっていたという事実に驚き、そしてその功績をまとめた、「柳宗理記念デザイン研究所」まで設立し運営されている、、、シテン、視点であります。
今やどこででも買える柳デザインの秀品のルーツの思想の全てがここで見れたのであります。自分も以前は取り扱いをしていた作品というか工芸品、のその当時知ることもなかった深い、柳の洞察が見てとれて、改めて、柳宗理はすごいなと、むしろ、親父さんの柳宗悦の東大哲学科、白樺派のという民藝にあまりに影響を受けていたものだから、柳宗理はその息子、親の影響大なりという認識でいたのだろうが、なんと、違う、ということを初めて深く腹落ちしたわけです。デザインや生活への嗜好の近代性という点では親以上というか、完全に物語を確立させている人だと、再認識したわけで、デザイン的にも本当に普遍で、次の世代の人たちに是非紹介しておきたい視点となったわけです。
「物書き」を仕事にしているにつけ、史実は重要であって、それも信頼に足るいくつかの文献をレイヤーして読む必要を感じている。また、店頭に立ち歴史ある産地の作家の方々の作品を扱い販売するからで、正しい歴史認識こそがとても重要であって、モノはそこから生まれてきているからだ。突然それらは生まれていない、全ては先人たちの積み重ね、つまり「歴史」である。だから学ぶ、読みあさるという言葉が近い。陶磁器の歴史だけではなくて日本の歴史である。読めば読むほどにいろんなことが繋がってきて、記憶の中に幸にも置かれていく、単独で覚えると覚えにくいものが歴史の時代考証、前後を正しく把握すると不思議と記憶に残ってくれるものであり、店頭で話す時や物書きする時にはとても有効なのである。
開物成務とは東京にある進学校の開成の理念でもある。開成でひくと出てくる。京都の老舗のほんとうに歴史ある店300年400年ぐらい以上あるつまり室町あたりからの老舗の当主からもよく聞く言葉である、安土桃山以前というところが重要なのだ、つまり日本の「礎」的な言葉であろうと理解している。世界の数百年の歴史を持つ企業は「京都に集中」している、他国のほとんどは政変などの影響をうけ消滅している。
自分の資料として記載、やがてドロップします。
新年の準備の縁起物が今年も揃って入荷し、本日ディスプレイさせていただきました。上の段、特大の2体が27,500円、大3体がそれぞれ19,800円、下の段真ん中より右の白い子たちは3,300円、左のベージュの子たちは4,180円です。明日から発売です。
京都で型を起こし、京都で一品一品絵付けされた物です。
陶泉窯さまの作品も本日入荷し、ディスプレイしました。明日から発売です。
簡単に言えば、石そのままなのか、その後に削り磨いて道具にしたかと言う時代のこと。
旧石器時代と新石器時代の違いを理解するには、まず新石器時代に地球の気温が上昇したことを理解する必要がある。
気温が上昇したために、環境が変わり、食料を得る方法が変わっていったということ。
旧石器時代と新石器時代の境目は、約1万年前。
この頃をさかいに、氷河時代が終わって、地球の気温が上昇する。
そのため、それまで食料にしていたマンモスやナウマンゾウなどの大型動物がいなくなり、ヒツジやヤギ、ウシなどを牧畜したり、ムギやマメ、イネを栽培して食料を得るようになったのだ。
農耕と牧畜の始まり。
旧石器時代は、狩猟・採集・漁労の経済。
つまり、マンモスやナウマンゾウなどを狩り、木の実を集め、魚釣りで食料を得ていた。
マンモスやナウマンゾウを追っていくため、洞窟や岩かげに住んで、移動しながらの生活だった。
また、食料を得るために、打製石器や骨角器を使っている。
新石器時代は、小型動物を狩り、魚釣りもしていたけれど、これに農耕と牧畜が加わることになる。
農耕は、移動しながらできないので、定住生活。
石器も精巧な磨製石器がつくられるようになる。
表面を磨いた石器で、実用ということを超えて、装飾的な意味合いもあったようだ。
また、食料を煮炊きしたり、保存したりするための土器が使われるようになった。
これによって、人類の食生活は非常に豊かなものになっていった。
農耕・牧畜の開始によって、食料というものに対する人間の態度が変わる。
旧石器時代は、食料は自然からの贈り物という意味合いがあった。
人間は、自分では食料をつくることができず、ただ一方的に自然がつくりだす食料をありがたくいただくだけで。
しかし、農耕・牧畜によって、人間自身が、自然をつくりかえて、食料をつくりだすことができるようになったのだ。
人間が自然をコントロールすることの始まり、環境破壊の始まりです。
前14000年ー前10世紀あたり 日本の東北には大陸よりも古い時代に器が出土している、世界でも最も早い時代に。縄文時代が長い、日本独自のもの。
縄文土器よりもシンプルで多様性がある
大陸から陶工が渡来し、窯を使う技術が伝来する、須恵器が焼かれた。
観世音(観音さま)の日本への伝来
施釉が始まるという意味で画期的な年間
本格的な高火度施釉陶のはじまり。
鎌倉時代初期・三十三間堂の建立、国宝・千体千手観音像 風神雷神の立体像が立ち並ぶ
和製の天目茶碗の登場 日本で独自の進化を今に辿る。
黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部 大陸の影響下から逃れ、日本独自の造形、意匠が始まった時代とも言える、見ているととても重要な軌跡、信長や秀吉の理解がなければ高まることがなかったと言える。たった30年の日本歴史の重要年間。
江戸初期から中期 非対称にひずんだ器「ひょうげた器」自由で闊達な絵付けが流行。
日本独自の「ひょうげモノ」
江戸前期の薩摩、萩、伊万里、古九谷、仁清 自分の興味は九谷と仁清に移りつつある。高いクリエイティビティ、絵の美しさだけでなく、どう描いているかに視点がある、つまり絵柄のストーリーのこと。
江戸時代中期、伊万里の金蘭手 鍋島 京の乾山の新機軸の登場、兄は光琳 響あう美意識 これらまでが今の所の興味の対象である。
緑の釉(うわぐすり)に抽象画、現在もそうだが消費地と窯場のコラボが目を見張る器を作るのは歴史がそう言う。消費地としての京都三条で発掘されたもの、京都には全国の器が集まった。
器の種類が多いと言うことは料理の種類が多いことに関連する、たくさんの料理とそれを創作できる有能な料理人がいたであろうことが推察できる、その伝統が今に伝わる、京都の料亭。器とは表現の重要な手段、そんなものだ。
モダニズムのガラス、大正ロマンティック ロマニズム 実は大正時代が面白いのだ。
学びでしか表現に繋がらない店頭 店頭にある全てのモノは学びから来ている。
どこかで何かにひっかかっている。
一年ぶりに徳力本家へお邪魔しました。