事業と内装と建築は常に時代と共にある、モノが在ってこその文化である。都会でしか生まれないものは確実にある。それを創り出していく。
8月 29, 2023
事業と内装と建築は常に時代と共にある、モノが在ってこその文化である。都会でしか生まれないものは確実にある。それを創り出していく。
ウィーンというオーストリアの街が好き。デメルがあるから?、、、。ヨーゼフ・ホフマンというウィーン分離派の中核だった人のフレーダー・マウスというトーネット社が創る椅子に、40年前にやられている、その当時ですらかなりの金額だった、金額は別にしても、座り心地など全く良くない、普通の椅子なんだけれど、座り心地と言ったら北欧のそこらへん椅子で十分。そうじゃなくて、造形なんだ、ウィーン分離派は、シートの生地など、全く分離派の仕事だったし。金沢の五木寛之さんの記念館に、驚いたことに何個も並んでいて、は?はぁ?なんで?と思ったのですけど、思えば彼の小説の舞台はプラハやウィーンという、ま、ヨーロッパでも稀有な知的な街だったですよね、と、、、。
リチは去年の三菱での展示でノックアウトされましたが、そのリチとホフマンのつながりで、リチがまた好きになったという、彼女の仕事がね、アーカイヴはたくさんあるので、これからの人が使っていって欲しいなと思う。
てな、ことでウィーンの街が好きなのです。みなさん外国へ出かけましょう。
外国といえば、日曜の訓市の番組が久々と言えるぐらい(特にってことです)良かった、全体が。ジョナサン・アイヴの話も、調べてまた取り上げます。
遙。なる昔の若かった頃から北欧へは何度も足を運んでいる。最初の北欧はハンス・ウェグナーという家具作家の作品を深掘りするためだった。まだご存命でバリバリに活躍されていた頃で、いろんなところでその痕跡に触れることができ、本当の北欧のライフスタイルというものに魅了されて行き、自分の価値観の根底には大きな影響を与えた。まだ20代だったから。その後はパタゴニアというアウトドアスタイルの始まったばかりの洋服屋のシンチラという素材、やがて東レが大きく関与する素材、から始まったパタゴニアのヨセミテのあの壁に魅了されるわけだった。パタゴニアは始まった頃から山登りのギアではなくて、洋服屋だった、スペックのレベルが高い、それはギアじゃなくてファッションだった、それは創業者のセンスによる、イヴォンのね。いくらでも寄り道できる物語。
さて北欧である、中でもコペンハーゲンは別格である。スウェーデンやフィンランドにも行ったが、街の規模のちいささが日本的で、日本人のような勤勉さと真面目さ、この真面目さというのが大事で、それにとんでもないほどのデザインセンスが付加されている、当時の日本にはまだそこまでのものはなく、せいぜい、アクタスが始めた、昔のIKEAぐらいだった、昔、今のIKEAではないアクタスが契約して持ってきたIKEAの店が船橋と東灘(神戸)にあったのだ、その当時の日本人にとってのIKEAは今以上の衝撃だった、価格は安いのに豊かな暮らしが見て取れていて、日本人の北欧好きの原点にもなったと言える。IKEAはスウェーデンの発祥であり、そこは北欧である。
さてコペン、私がエーシーパークスの紅茶に惹かれているのもそこである。本物を追求してきているからだ。そこが他の紅茶屋にはないものだ。
ここからはコロナ前に訪れていたコペンの街、イルムスの本店の紹介だ。やはりときめきに心騒ぐものであった、ホテルもアルネ・ヤコブセンのホテルに泊まった。
私が今も少しは本物の北欧に関わっていたい気持ちはここに原点がありますね。それは確かなことだ。
デザイン大国の片鱗に触れて。続く、、、
プレハブじゃなくてオリジナルの家。優れたハウスデザインを見ると一番興奮する。内装が一番大事、インテリアデザインというやつ。クルマやバイクの順位は自分には大幅に下がっている。それよりももっと身近にある、服や家、内装や家具デザインに興味がある。出自だからかな。服は平和で身近でいいですよ。
サントリーが無きゃ日本の広告はどうなっていたんだろう。。。すごいですね。
過去に私の唯一の上司の社長に、歴史に残るクリエイティヴを作って欲しい。ただそれだけだ、後は何も言わないよ、今までにその言葉に価する仕事をされてきているので、何も言わない、それがあなたにお願いしている理由なのだからとだけ言われた。ロゴと思想の変更に高い予算がいるという件を意見具申にうかがった時のことだった。まだ担当したブランドが今の80分の一ぐらいの頃だった。そして優れたモノが出てきた。たくさんの人の高い熱量によって生まれた産物。ロゴと思想は一体だから、ロゴだけを変えるのはない、思想も変える時以外はね。事業継承の意味を履き違えるとダメだと思ってやって来た。
美しい茶器とおいしいお茶 日本茶の世界への輸出が始まった横濱で商いしています。
美しい茶器と共に暮らす、心が豊かになる瞬間、都会でも山の中でも持って行って淹れることできます。
お茶とはそういうことと売茶翁は言いました。