投稿日: 8月 10, 2021

ATP トロント

カテゴリー: Liberal Arts

すごいナダルファンのボールキッズがナダルをベンチまでアテンドする役目をになった、とても嬉しそうな表情。

彼女の自分の部屋はこんなかわいいことに、ラケットもデカラケ、しかもバボラのナダルモデル。ウエアもラファと同じナイキ、しかもセンスいい。ママが一生懸命に作ってくれた?パパかも知れないけど。いずれにせよ親子でファンであることには間違いない。このボールかわいいな。

投稿日: 8月 01, 2021

技術と叡智(えいち)

カテゴリー: Liberal Arts

最高にクールな宣伝ですな、イシハリ。日本電産とともに日本の強みの根幹なる企業ツートップであります。ここら辺に世界は追いつけない。歴史ですから。

いくつかありますがこれが一番ですね。のっけのこの女性の上げがいい。どこが作ったのだろう代理店、今から大賞差し上げますよ。カタイ企業がカタイことしてても仕方ないすからね。特に宣伝。夢を持たせてやらねば。

自分の身は自分で守るしかない。

投稿日: 8月 01, 2021

ムジ港南台

カテゴリー: Liberal Arts

通っているわけです。大船にいいSCが出来たとのことですが、まだ行けてないというか、私はここが好き。ここが成功して欲しい。ヤオヤスイカさん、横浜駅のジョイナスのクィーンズレジ前から撤退というか売り場なくなって、悲しんでいたら、横浜駅クィーンズにもインショップで小さくなってあるとのこと、またここ港南台は週末のポップアップで出させてもらいますとのこと、クィーンズさん筋通しますところはさすがです。小売が大変な今こそ、小売の使命が求められています。ムジとクィーンズの関係が成功しますように。買いに行きます。なんと出雲大社をかぶった「しまねっこ」がきていて、嬉しすぎてびっくりのパチリ。ご当地系で一番好きなのはこの子、2番は「ひこにゃん」彦根城です。

自分の身は自分で守るしかない。

投稿日: 7月 24, 2021

傳の日傘

カテゴリー: Liberal Arts

オリジナルの紋様に浜松注染の生地を使い、東京の傘職人が国内骨組みをし製造しています。残すべき伝統、ツタエノヒガサ。ウサギノタスキ キラキラ黒 ¥20,900 (税込)

日傘は自分を表す女性の象徴、気に入ったものをお使いいただきたい。
モダンな表情が漂う、星の絵柄。
洋装にも和装にも。

この一本。

投稿日: 7月 12, 2021

4年くらい前の店内の様子

カテゴリー: Liberal Arts

創業から一年くらいの頃ですかね。今と品揃えはほとんど変わらず、竹の築地バッグがより使い易い、リンダのバッグに変わったぐらいかな。やはり、瀬戸の馬の目C&Sはいいですね、日本の歴史的グラフィックアートだと思ってる。

リセンヌ通りが好きで仕方のない MWL STORE です。ここで育てていただいております。先輩諸店に敬意を払いながらです。

Small Is Still Beautiful

投稿日: 7月 03, 2021

バーンアウト

カテゴリー: Liberal Arts
フロントカウルにはFIRST FREDDIE とある。

若くして誰も到達したことのないような偉業を成し遂げた人には往々にしてバーンアウト、燃え尽きたという、感情がやってくる。このフレディ・スペンサーという走りの天才、速すぎるが故に「ファースト・フレディ」と、ホンダレーシングのワークスグランプリライダーになる前から、ラグナ・セカなどでは呼ばれていた。童顔な表情に反してその技術は熟練の域にあった、幼い頃からの夢の積み上げだったから。英語ではフレディにはDが重なりそれも早く感じさせるものであった。本名はフレディではなくフレッドなのかも知れない。アメリカの人は愛称にこういう名前を付けることがあるから。

この写真から起したイラストは1985年に250と500のグランプリの年間ダブルタイトルを取った時のもの。両方ともツーストロークである、今はもう日本ではというか世界的にも随分前から環境問題的に生産中止になったエンジンであるツーストローク、立ち上がりの吹けが早い、タコが跳ね上がるんだ、市販車でそうだったから、レース車両などとんでもな世界。

今もそうだが、一番大きな排気量も小さな排気量も同じ日に決勝を行っていて、どちらかが終わればすぐに次のクラスのレースだった、フレディは年間を通じてその二つにエントリーしていて、圧倒的に勝ち続けていた、もちろん、その当時も今もそんな人はいない、二つの頂点のクラスで勝ち続けれる人など。どれだけ体力的に精神的に厳しいか、である。1時間少しのレースだが、バイクレースには毎回命がかかっている。今はバイクの技術が上がり、曲がる、も止まる、も飛躍的にレーサーバイクそのものが進歩した、この当時は、野獣のようなパワーを人が抑えつけていて、安全の技術はまだ二の次、まずパワーの時代だった。だからこそそれを、抑えつけて、後ろのタイヤをスライドさせながら、最終コーナーを立ち上がってくるフレディの姿は圧巻だったのである。

この年の年間ダブルタイトルはホンダにも象徴的に頂点にある、いろんなことがここを境に変わっていった。そして天才フレディはバーンアウトした。

なんとリアをスライドさせながらフロントをウィリーさせていると言うか、アクセル開いた瞬間に浮くのだろう。怖くて出来ないよ、ハイサイドでぶっ飛んでしまうから。とにかく鈴鹿にはよく来ていた、開発のために。