ほんとうにおいしいお茶を、「美しい急須」で呑む暮らし。
気遣いと丁寧と佇まい。日本がしばらく忘れていたものがここにある。
ほんとうにおいしいお茶を、「美しい急須」で呑む暮らし。
気遣いと丁寧と佇まい。日本がしばらく忘れていたものがここにある。
哲学の域にまで達した日本の茶
「和・敬・清・寂」
極めれば、技は道に通ず
茶葉(ちゃよう)も急須も、極めれば道
美味しいものを美味しくいただくために
茶人、岡倉天心は中区本町、つまり開港記念館あたりであるが、の生まれである、横濱に深い関わりがある。そして私が茶に興味を持ったゆえんの人であります。東京大学出身。藝大の前身東京美術学校の第二代校長でもありました。その後東京芸術大学(登記上は”藝”でなくて”芸”であるそうだ、一般には権威のイメージを含めて”藝”を使うことが多いようだ。)の設立に尽くした人でもある。茶と美術、海外との開かれた心の接点、横濱ならではの背景から生まれる先取の精神と日本の折衷な精神の礎(いしずえ)を作った人だと思うのだ‐これぞハイカラ精神。原三渓などもその一人。横浜には横浜らしい人がいるものだ。三渓園の茶室など含め、あるいは当時の茶の輸出の拠点であったであろう山下町・山手町周辺など、浅からぬ茶と横浜の関係、実は深い。横浜は「茶と美術」で活かすべきであろうと思うのである。日本大通り周辺にある優れた開港時代の洋風建築はこれらで活かす、少なくともあってもいい歴史が存在しているからだ。金沢や盛岡は歴史ある建物の使い方が上手。
ハイカラは、慶応元年創業「伊勢茶のかねき伊藤彦市商店」にお願いしお作りいただいている抹茶⼊りのお茶です。その内容は、まず抹茶には、 京都産⽯⾅挽きの老舗宇治抹茶を使⽤しています。お茶の重量に⽐した抹茶を混ぜています。そして、茶葉は北勢地⽅⽔沢の ⽟露と南勢地⽅⼤台町栃原の中蒸し煎茶を合組しています。抹茶、⽟露、煎茶 と、三つの個性の全く異なるお茶が重なりあってハイカラという名の調和が⽣まれました。個性の違うお茶がそれぞれの良さを出しながらもそれぞれに無い部分を補いあい、相容れないものだと思っていても、重なれば⾃然に新しい調和が⽣まれています。 ハイカラという名にふさわしい新しいお茶です。
いい茶器といいお茶で生きて行く、感動的なお茶との出会いが生まれる、心の豊かさは日本のもの。
うちの什器、VITSOE 。バウハウスの影響を受けた、昔、昔の髭剃りのブラウン社の実質的なクリエイティヴ・ディレクターだった、ディーター・ラムスさんのデザイン今年91歳になられる。90年代に行っていたミラノ・サローネの帰りに立ち寄ったロンドンでVITSOEを見つけ、歓喜した。それにはインターリュプケと言うドイツのシステムファニチャーに影響を受けていた土壌が自分にはあったから、すんなりとVITSOEを理解した。いつかはVITSOEと思っていた。
最近改めて勉強し直した「柳宗理」とディーター・ラムスはデザイン界、合理性の巨人である。柳宗理は根本的に再評価の時代。
今月号のポパイで2ショット見つけた、日本にもこれから流行するだろう、若い人たちから炎が上がるだろう、それは欧米の必ずかっこいい人たちが使い始めているから。必ずかっこいいから。什器はVITSOE以外はありえん、と思って始まっているMWL まずこの什器をどう置くか?で内装始めた、置く作品(うちの店にあるのは食を含めて全ては作品)をこだわっているのに、什器をこだわらずにどうする、と叫んだ。これからも普遍、不変、どうなっても変わらない。VITSOEにはイギリスの生産でありながら、ドイツのビジネスモデルがある、つまり生産性が高い。これまた一万字になるからやめておく。
インテリアも、うつわも、食も、おろそかにはでけへんな。人生の後半戦は40から。そこからはここ。という自分の感想。
本日も18時まで営業しております。
造形の美。千葉光広さんの、丸っと丸い、急須、ティーポット、珍しく釉薬が一緒で形もほぼ似たものでサイズの大小が揃いました、貴重。小さいのは容量:210ml 大きいのは330ml 二つ揃えたい、造形の美しさがあるサイズ違い。手で持った感じがとても気持ちいい表面をしています。丁寧に丁寧に仕上げられた痕跡がありありありであります。価格はいずれも11,000円
お茶は意思を持って呑みたい、淹れたいです。
茶葉を選んで、茶器を選ぶ、幾つあってもいい。
日本の煎茶と茶器、日常遣いでどうぞ。
本日も営業します。13時から18時。常滑の素晴らしさを具体的にそれぞれの作家の作品を元にご説明いたします。
神話の産地のお茶(大和茶・伊勢茶・出雲茶)の粉砕していない、茶葉のお茶と共に。お茶は葉を開いて呑む。
うちの店頭すべての商品はしつこくMADE WITH LOVE つまりMWL
「急須百個あって見える世界」
天才 天賦な才能を持って 天才と称する。
シテンの視点 コラム更新しています。残り2回となります。
今回は柳宗理の話。作家の五木寛之や、柳宗理というその時代の寵児たちがどういうわけか移り住んだという金沢に興味を惹かれて。それも50年もの間、金沢美術工芸大学の教鞭をとっていたという事実に驚き、そしてその功績をまとめた、「柳宗理記念デザイン研究所」まで設立し運営されている、、、シテン、視点であります。
今やどこででも買える柳デザインの秀品のルーツの思想の全てがここで見れたのであります。自分も以前は取り扱いをしていた作品というか工芸品、のその当時知ることもなかった深い、柳の洞察が見てとれて、改めて、柳宗理はすごいなと、むしろ、親父さんの柳宗悦の東大哲学科、白樺派のという民藝にあまりに影響を受けていたものだから、柳宗理はその息子、親の影響大なりという認識でいたのだろうが、なんと、違う、ということを初めて深く腹落ちしたわけです。デザインや生活への嗜好の近代性という点では親以上というか、完全に物語を確立させている人だと、再認識したわけで、デザイン的にも本当に普遍で、次の世代の人たちに是非紹介しておきたい視点となったわけです。