11月 17, 2025
学びから自分の事業を俯瞰する視点を教えてもらうことが大事。とにかく日々の学びしかない、終わりなどない。自分だけの視点などしれている、とにかく教えてもらいアドバイスもらうことである、それで自分が幾倍にもなる。謙虚さで受け入れることが全て、自分の学びの足らなさをであります。
小堀遠州を現代の「クリエイティヴ・ディレクター」として捉える見解はあります。
分かりやすく紐解いて行きます。
よく知られたのはファッション業界のそれであり、真のクリエイティヴ・ディレクターとして歴史上に名を馳せるのはグッチのトムフォードでありましょう。組織図としての社長、あるいは事業責任者の直下にいて、ただ表面的なデザインの監修としてのディレクションだけでなくて、週次の経営会議に参加して事業のあり方そのものにも参画しているポジションのことであって、広告業界におけるような、狭い範囲のプロジェクトそのもののデザインだけを監修している職種とは異なる。そういう意味合いがあり、自ずからから名前は同じでも全然違うものである。
トム・フォードの時代においてもファッション業界におけるクリエイティヴ・ディレクターと言える存在は数人しかいなかった。それは週次の経営会議に参加しているかどうかである、そのブランドの。ブランドの展開は数値的経営計画と密接に関係しているからである。つまりデザインと経営の密接なる関係こそが事業成長の肝で、優れた成長を魅せるブランド(あのトム時代の例えばグッチ、あれこそが今のグッチ繁栄の礎(いしずえ・元)にあった時代、それが無ければ今のグッチは到底なかったのである、創業家が脈々と古いものを築いているだけではという見解である、ステージが違うのである、トム以降の時代が)としての重要な部分であった。
そして元に戻る、小堀遠州であります。
小堀遠州(こぼりえんしゅう)は、江戸時代初期に活躍した大名でありながら、茶道、建築、作庭、工芸など多方面で独自の美意識を確立し、当時の文化に大きな影響を与えた人物。
本名は小堀政一(こぼりまさかず)で、「遠州」は武家官位の遠江守(とおとうみのかみ)に由来する通称。
「綺麗さび」の確立
小堀遠州の最大の功績は、独自の茶の湯の美意識である「綺麗さび(きれいさび)」を確立したことである。
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系譜:
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千利休が究めた「わび(侘び)」の精神を基盤としている。
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師である古田織部の「破格の美」をも受け継ぎ、これらを再統合した。
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特徴:
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利休の「わび」が不完全さや静謐さを追求したのに対し、「綺麗さび」は、幽玄で静かな雰囲気の中に、王朝文化の雅(みやび)や華やかさ、端正で洗練された美しさを加えた。
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美しく整えられ、品格を失わない優美なものを追求する価値観で、寛永文化(徳川家光の時代)の、戦乱から平和な時代への移り変わりとともに豊かになった人々の美意識を反映していると言えます。
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功績: 遠州流茶道の祖となり、将軍家光の茶道指南役を務めるなど、武家茶道の筆頭として絶大な影響力を持った。
作事奉行・作庭家としての活躍
これこそがクリエイティヴ・ディレクターと呼べる、真髄的な仕事観である。表層のデザインだけでない。
遠州は、江戸幕府の行政官として伏見奉行や作事奉行を務め、幕府や朝廷の大型プロジェクトを数多く手がけました。
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主な役職: 備中松山藩主(のち近江小室藩初代藩主)、伏見奉行、上方郡代。
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建築・作庭: 建築や造園にも卓越した才能を発揮した。
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二条城二の丸庭園(代表作の一つ)
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大徳寺 孤篷庵(こほうあん)
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仙洞御所(これこそが決定的な作品であろう)
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龍潭寺庭園(遠江三名園の一つとされる)
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頼久寺庭園(ヨーロッパ庭園の要素も取り入れたとされる)
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建築の特徴: 茶室では、師である古田織部のものよりも窓を増やし、明るく開放的な空間を好んだとされている。
生涯と師事
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生誕: 天正7年(1579年)、近江国坂田郡小堀村(現在の滋賀県長浜市)で、武将・小堀正次の長男として生まれた。安土桃山の時代の最中に生まれた時の子であると言えますね。日本の美が外国の影響を受けて画期的に進化し始めた時代の始まりとしての安土桃山の時代である。
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師事:
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10歳の頃に千利休に会い、茶の湯に関心を持ち始めた。
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15歳頃から、利休の弟子である古田織部について茶道を学んだ。
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出世:
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父・正次は豊臣秀吉に仕えていましたが、秀吉の死後は徳川家康に仕え、関ヶ原の戦いでは東軍として参戦しました。
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遠州も徳川家に仕え、1608年に遠江守となってから「遠州」と名乗りました。
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死去: 正保4年(1647年)に亡くなるまで、大名・茶人・文化人として多大な功績を残しました。
小堀遠州は、武士としての格調の高さと、王朝文化に由来する優美な美意識を融合させ、茶道から空間設計に至るまで、江戸時代初期の日本の美を総合的にプロデュースした人物と言える。
まさにこれこそがクリエイティヴ・ディレクターの仕事である。
まとめ
これは、小堀遠州が単に茶人であっただけでなく、上記のような多岐にわたる分野で総合的な美意識をプロデュースした人物であることから来ている。
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茶の湯: 遠州流の「綺麗さび(きれいさび)」と呼ばれる美意識を確立した。
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作庭: 大名庭園を含む数多くの庭園を手がけた(例:仙洞御所、孤篷庵など)。
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建築: 数寄屋建築などにも関わった。
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工芸品: 茶道具やその他の工芸品の選定・制作にも携わり、その後の流行に大きな影響を与えた。