メロンパン

神戸と阪神間の名物だった。

神戸と阪神間には日本の生活協同組合の優れた雛形が昭和期の超高度成長時代に生まれていて、モノがまださほど豊で無かった時代の生活スタイルの礎になり、確実に毎日豊かな食材を手頃な価格で届けていた。私が生まれ育った宝塚にもあった、いわゆる当地では「コープさん」て愛を込めて呼ばれていた、灘神戸生活共同組合という名称で、宝塚にも出店していて、驚くのは今の宅配ビジネスのやっているようなことがこの当時から、毎日家に届けられてくるという、コープさんが来れば、次の週のカタログを置いて、行き、その前週に注文したものが今日届けられているというシステムが、すでに完成していた。いろんな理由で買い物へ行けない人たちのセーフティネットみたいなものが、行政や町村がやれる前に、すでに見守りなどにも近い状況で完成していたスタイルであった。大手のスーパーなどが、ただまだ安売りしか出来ないような時代に、安売りと訪問、カタログ通販、と街の欠くことの出来ないインフラとして成り立っていた。灘神戸生活協同組合でありました。全国にも当然、この神戸の成功を受けていろんな都市にもあったのでしょうが、規模的にもシステム的にも最も優れたモノがここの「コープさん」でありました。頭のいい都会人がこの生協にはいたのだろう。

で、本題であります。メロンパン、これはコープさんのオリジナルであった。そこでしか買えない、いつも来る楽しみな菓子パンであり。決してまだ種類も豊富でもない時代の、美味しい菓子パンのあんパン、ジャムぱん、クリームパン、以外の優れた選択肢で。コープさんと言えば、「メロンパン」というのが浮かんでくるから不思議だ。

この写真のパンは加古川という都市で作られていて、この会社さんは東京駅の前のビルにある、ヴィロンというフランスから来たベーカリーアンドカフェで大成功した会社で、このビルの地下には「みんなのパン」という名前でベーカリーというスタイルじゃなくて、昔あった昭和の時代の近所にあるパン屋さんというのも小さな壁沿いにされていて、それは当時のパンの種類が並ぶパン屋さんをされている。そうここにもこの「メロンパン」が並んでいて、僕は偶然に、その店の隣にある、堂島の「インデアンカレー」日本のカレーの至宝であるカレーやさんに週に一度は必ず通っていた時代に発見したのでありました。狂喜乱舞した、なんで、なんでこんなところに神戸のソウルフードのパンが、それもパン屋のパンがあるんや〜と。。。いつも売り切れている。僕がカレーライスのお皿、つまり日本の最も優れた世界でも一番うまい、カレーととんかつという二大料理の家庭版にこだわる理由であります。おっとまた脱線し始めるわい。

てなことでのこの「メロンパン」今でもこういう風に時々、品揃えのいいスーパーや、百貨店の食品に並んでいることがある、これもその加古川のパン屋さんが作って出荷している、つまり東京駅のヴィロンを経営する会社のことだ。味は同じだ、コープさんにその昭和からこの会社が出荷されていたのかどうかは調べていないから、わからないが、コープさんがオリ(オリジナルということ)で自社のパン製造工場で作っていたのかどうかも定かではない、いずれにせよ、当時の現物のパンの感触や白餡の雰囲気などは、具現できていると感じる、時々これを真似した似て非なるものに出会うこともある。パンの硬さや、味、白餡が全然違うのだ。買ってしまって、一口で、あぁ違う、わ。と笑ってしまう自分もいる。神戸人のルーツがあるからか、パン屋さんはよく見ていますね。世界中でね。でもウチキさんのパンも好きですよ、うちから30秒です。別の次元業態ですからね。

このメロンパンの型は昔の定食ランチのご飯の型ですよ。なんでメロンなのかも不思議、この形が。ま、神戸の都市伝説の一つではありますね。生産しやすかったのかなぁ。手で成型するよりもね、そんなとこでしょう、深い意味などない時代だろうから。。。とにかくモノを提供するが優先されていた時代。

はい、今日の視点はこれぐらいで。