今年のフルセットをお届けいただいた。嬉しさがMAX お祭り男には。いつもありがとう存じます。
早速お店の棚を更新しました。今年もよろしくお願いします。お店の空気の流れが変わったように。。。




今年のフルセットをお届けいただいた。嬉しさがMAX お祭り男には。いつもありがとう存じます。
早速お店の棚を更新しました。今年もよろしくお願いします。お店の空気の流れが変わったように。。。





北欧デンマークのコペンハーゲンのエー・シー・パークス紅茶店。創業は1835年、経験は知見、歴史が味に出る。特にA.C.PERCH’Sの紅茶は、北欧らしく、「やさしさ」が前面に来るように感じます。
創業年を参考に調べてみました。マリアージュ 1854 ダマンフレール 1925 TWG 2008 一保堂 1717 なんとフォートナム・メイスンに至っては1707年。世界の100年以上続く商店のほとんどが集中して存続、存在する京都はさすがにさすがですが。
ただ歴史だけを言うのは本末顛倒であります。言いたいのは今にどれだけ優れたものを知見で残せているかということだと感じています。
美味しいお茶の具現は簡単ではありません。
上野リチ・リックス
ずいぶん昔のことですが、私がまだ W・W・(ウィーナア・ウェルク・シテッテ)[註:ウィーン工房]に居た頃ドイツ旅行の際に有名なワイマールのバウハウスに校長グロピウスを訪ねたことがあります。通された彼の室のカミーン[註:暖炉のこと]にフト目をやると何と私の作品の陶器が飾ってあるではありませんか。
“それは私の作ですが”と云うと
“そうでしたか、ライプチッヒのメッセで見かけて気に入ったので、W・W・の売店で求めたのです” とのことでした。当時、私はバウハウスは私共のW・W・とは全然違った傾向にあると考えて居たので、彼が w.w.の私の作品を愛玩して居るのを見ると意外でもあり、うれしくも思いました。良い面白いものは何でも好き嫌いしないという彼のやり方がここにも表われて居ると思います。
昨年ウィーンに居た時受取った主人からの手紙に、グロピウスが日本に来ていろいろ助言を与えられるとあったので、友人達はグロピウスが日本の立派な伝統芸術を近代化するのを見ることが出来るのは羨ましい次第だと大騒ぎをしましたし、恩師ホフマンも”それは素晴らしいことだ”と伝って居られました。
6月中旬に日本へ帰りまして、お目にかかった印象はゴシック時代のバウフェッテの老マイスターと広う感じでありました。
彼が中世紀に生きて居たらきっとゴシックの大伽藍のマイスターとして[建]築や形刻を可さどった事でしょう。
“日本はどうです”と尋ねたら
“私は寝られない程興奮しました、バウハウスで始めたノルム、正確な仕事、等々のあらゆるものは日本では昔からちゃんと出来て居たので、”と答えた。
グロビウス会編「グロピウスと日本文化」国社、1956年、139-140頁
※巻末の「執筆者紹介」にリチの名前は掲載されていない。
うちはウィーン分離派推しであります。ウィットマン(ヴィットマン)のなんというこのセンスの良さ。さすがです。どうしてオレはこの時代に生まれてこなかったのだろうといつも思う。それぐらい好きだ。リチー❣
LIKE NO OTHER [WITTMANN]
office MWL
先日お詣りした伏見さんから、新たな8年目のスタートから始まる無事の祈祷をお願いしたのが送られてきました。元町のお店づくりが始まったばかりですが、間に合いました。完成して置かせてもらいます。

今宵の良き夜、わかばさんのたい焼きと呑む、MWL オリジナル煎茶 ”ハイカラ” この港町から遠く世界へ出て行ったであろう、日本諸国の産地のお茶を想って、創っています。玉露、煎茶、抹茶の合組による、日本煎茶本来の持つうまさが極まる。ほんとうに美味しいハイカラさん。そして四谷見附の若葉町にあるから”わかば” リスペクトの老舗

僕らは常滑の急須を推す、まず第一に。それはこの店が始まって間もない頃、まだお客さまもそんなに多くはない頃に、この常滑の産地の方々から提供されている急須によって、お客さまが増えて行ったからです。恩義があるのです。僕らはそれをずっとわすれたことはありません。
何よりも常滑の人たちはみなさんあたかかい、これほど産地全体でそれを感じることはありません。急須というものを中心にして、それがよくなることに一生懸命であることを感じます。
だから、大和茶、出雲茶、伊勢茶とともに常滑の急須はうちにとって絶対の必須条件、それはこの店のある限り変わることはありません。それらはすべて、ほんとうにすぐれているほんものだからです。

シテンの視点 コラム更新しています。残り2回となります。
今回は柳宗理の話。作家の五木寛之や、柳宗理というその時代の寵児たちがどういうわけか移り住んだという金沢に興味を惹かれて。それも50年もの間、金沢美術工芸大学の教鞭をとっていたという事実に驚き、そしてその功績をまとめた、「柳宗理記念デザイン研究所」まで設立し運営されている、、、シテン、視点であります。
今やどこででも買える柳デザインの秀品のルーツの思想の全てがここで見れたのであります。自分も以前は取り扱いをしていた作品というか工芸品、のその当時知ることもなかった深い、柳の洞察が見てとれて、改めて、柳宗理はすごいなと、むしろ、親父さんの柳宗悦の東大哲学科、白樺派のという民藝にあまりに影響を受けていたものだから、柳宗理はその息子、親の影響大なりという認識でいたのだろうが、なんと、違う、ということを初めて深く腹落ちしたわけです。デザインや生活への嗜好の近代性という点では親以上というか、完全に物語を確立させている人だと、再認識したわけで、デザイン的にも本当に普遍で、次の世代の人たちに是非紹介しておきたい視点となったわけです。

