朝イチで飛び込みました。奈良線に乗り換えて宇治ですな、宇治といえど今日はお茶ではなくて。
10月 04, 2021
朝イチで飛び込みました。奈良線に乗り換えて宇治ですな、宇治といえど今日はお茶ではなくて。
今回の三つ目の目的はこれです。若冲と応挙と言えば相国寺です。
今日泊まっているのはデザインホテル、最近とてもたくさんのホテルが京都に出来ていて魅力的なものが多い。中でも気になっていた。デザインというよりもアートホテルと言える、ホテルがそうおっしゃっておられる通りにアートだ。一番狭い部屋に泊まっているが、快適だ。沢山を言っても仕方ないので言いませんが、まず泊まることですホテルは。いいホテルは自分の視点を何倍にもしてくれる、それは価格ではない、昔は価格だったが今はそうではない。でも2年ほど前に創業されて、大変な2年を過ごされていると思う、本当に。開業してすぐこれが来ている、インバウンドの人たちも好きだと思うのだがそれが皆無なのだから想像するのも恐ろしいことです。京都は観光客で成り立つ都市です。街の財政も。産業こそが街を守り存続させるわけですからね。早くそういう時期になってインバウンドの方々にもお戻りいただきたいものです。
朝早くから、一人旅で京都入り。出張じゃなくて旅。
元町のフランス料理店:ラ・バンリュー・アトリエ サイトウさんのところで、シェフ自らお造りになる、イベリコ豚の自家製スモークベーコンを先日購入させていただきました。ベーコン、アスパラ、山芋、ポーチドエッグを添えて自分で作ってみました。朝も食べていてそう思うのですが、このベーコンの美味しさがどうしたことだろうと。。。もうさすがのうまみに絶句です。素晴らしいです。そして、いよいよレストランへもお酒いただきながら行けるという道筋も見えてきたようにも、やっと感じます。焦らずにじっくり、お伺いしたいものですね。アスパラは茹でました。この卵がいい味の相性出しました。ポーチドエッグにして優しく味を封じ込めました、岩手のですが、ベーコンに卵は相性いいですね。
LOVE MOTOMACHI
今年もお届けいただきました。嬉しすぎます、なんという。嬉しさのあまりにフルアップ。今年は鉾を立てただけで巡行もなく、月鉾町ではお囃子も上がらなかったといいます。長い祇園祭の歴史の中でも異例な年が過ぎています。そんな中を、ありがとうございます。
ヒマラヤン・ムーンもそうですが、とにかく月好きな私でございます。
今年の「新茶・蒸気船」は早々に完売いたしました。ありがとうございます。名前パッケージとも同様の通年・通常期アイテムとしての「蒸気船」をただ今企画中です。しばらくお待ちくださいませ。お茶ととても深い関係の錚々たる歴史のある街、横浜。その横浜の美味しいお茶「蒸気船」を目指してまいります。
蒸気船の背景の橋のイラストはヨコハマ ベイ ブリッジで、海の見える丘公園から見たところです。
THE FUTURE IS FEMALE を実践した横浜にゆかりのある女性
海が見たいわって言い出したのは、君の方さ……..
手に花を、唇には詩(うた)を。それがMWL SPILIT。
リセンヌ通り。MWL STORE
日本のお茶産業の振興に情熱を捧げた大谷嘉兵衛さん(以後敬称略)1845年生まれ、ほぼ幕末に青春を過ごしています。そして文明開花を肌で感じていたはずです。嘉兵衛は伊勢の国飯高郡に生まれ、19歳の時に親戚筋である、横浜北仲通り(今のあの立派な市役所、あのタワマンの前)にあった伊勢屋小倉藤兵衛方に奉公に出る。奉公と言われるぐらいだから親戚筋とはいえ大変であったのだろう。嘉兵衛は関西屈指のお茶の生産地だった伊勢茶の製茶貿易に就きます。そしてその働きぶりが気に入られて養子とはなるが、養父との仲がうまくいかず、それまでの茶貿易の経験を生かしてスミス・ベーカー商会という会社に転出し、そこから稀有な商才を発揮することになります。大量の宇治・大和茶を買い付けた、実に23歳、大勝負をしました。そして名をあげます。それを横浜港から輸出した。その後、当時はあまりにも日本の茶が売れて、需要が逼迫し、いろんな品質の問題が浮上し、この時も嘉兵衛は率先して中央茶業本部を設立して輸出製茶の品質向上に努めています。この間、横浜市会議員、市会議長、全国中央会議所の議長おも努めていました。当時の日本は絹に次いでお茶は重要な輸出品目でした。そのほとんどを横浜の港から輸出していました。その産業の推進に重要な役割を伊勢の国出身の嘉兵衛が果たしていたわけです。実はそういう縁から西区の伊勢山皇大神宮には銅像、その後にも石碑があったらしいのですが、今はなくなっているようです。(諸説あり)
ここで申し上げたかったのは、横浜港近くにあったという「お茶場」当時は全国から横浜港に集まる乾燥不十分なお茶を乾燥させて製茶する施設のこと、山下町一帯にあったと言います。そしてそれらの品質向上の振興を行なったのが伊勢の国生まれの大谷嘉兵衛であったという歴史的な事実です。日本の茶の輸出と産業の発展の礎になった横浜港なのであります。
このお茶のパッケージのイラストの背景は、船の安航を祈る旗、そして港を横切るベイブリッジ、大海を望んでいる風景。最も横浜らしい、横浜開港のポイントです。
資料参考:「日本茶の近代史、幕末開港から明治後期まで」蒼天出版社編、他。
MWL TEA ARTS STORE
MWL STORE ORIGINAL’S 新製品の新茶の名前を「蒸気船」としました。ペリー来航の「蒸気船」と、江戸時代当時、人気のお茶の商品名としての「上喜撰」を彷彿とさせています。横浜らしい名前になりました。横浜ならではの「お茶物語」詳しくは先日のブログをご覧くださいませ。MWLのオリジナルのお茶「蒸気船」の中身は真に美味しいお茶、横浜らしい颯爽とした風の吹くお茶を ! と厳選され、伊勢の清流・宮川流域の大台町で栽培されるお茶をお願いしました。清流宮川と大台山渓の山々に囲まれた自然豊かな環境、日本有数の雨量、しばしば立ち込める深い霧、激しい寒暖の差。大台町はお茶の栽培に絶好の環境で、三重県内でも有数のお茶どころです。宮川はその源流を大台ヶ原までさかのぼります。源流の一滴は大台ヶ原から伊勢市内まで流れて行く豊富で伊勢ならではの清涼なる水源です。
そして横浜が開港してすぐに、横浜港からの重要な海外輸出製品は「お茶」になりました。横浜港周辺には伊勢地方を含めて全国などからも「荒茶」が集まり、横浜港周辺にたくさんできた製茶工場で仕上げて高級煎茶として輸出されていきました。そこら辺は横浜開港記念館に資料として存在しています。静岡の清水港が産地直結の港として明治後期に機能するまでの40年ほど、横浜港は重要な役割を持ったお茶の海外への輸出港だったわけです。横浜とお茶は深いかかわりがあったのです。
遠く、この港や大海を超えて世界へ飛び立った伊勢茶へ思いを馳せて。
物語がちゃんと存在するお茶「蒸気船」横浜からのお土産にいかがでしょうか。
新茶 蒸気船 (じょうきせん) 左:45g 入り 972円税込 右:20g 入り 540円税込