長らく工事中でありました、石川町駅のリセンヌ小路側の出口、いよいよ、いよいよ明日、オープン。
リセンヌ小路側を使っていた人たちが本当に長く待っていました、この日。
この街で生きていく。
元町でご商売されているお客さまからご紹介いただきました。
車を走らせ東海道を西へ藤沢で新湘南バイパスへ、横浜から近いものです。
湘南唯一の酒蔵、熊澤酒造が敷地内で営業されていますイタリアン・モキチトラットリアヘ。
相模國随一の寒川神社から、なんとすぐ近くでした。
いい雰囲気です、コノ表情、否が応でも高まるってものです。カフェと日本食そしてイタリアンとあります。
なんとなんと、ランプはぜーんぶ、ルイスポールセンじゃないですかー、正面にあったデカいのが効いてます。
茅ヶ崎物語じゃないですが、えぼし岩。
なんかね唐揚げっぽく見えますが、実はオニオンフライでこれが美味い、噂は本当でした。車でしたのでジンジャーです。
最近どこ行ってもピザといやぁクワトロフォルマッジしか頼んでいませんね、ナポリは縁側デカいんです。
炭焼です、ロブスターテール、ハマグリ、真ん中の大きいのがイカ、そして白身の魚、そしてサラダ盛り、これがまた美味いです。
お酒飲まないとですね、次回は。。。
今日行ってきました、パリジェンヌと聞かば行かずにはおれませんね。
第三京浜で行けばあっと言う間に着きます。砧公園に隣接する世田谷美術館のセンスはさすがです。
気がつけば一日を過ごしていました、とても勉強になりました。
図録も良かったです図録デザインのセンスがいい。
ウィメンズファッションを志す人は必ずご覧になられることをお薦めいたします。
ウィリアム・モリス・ハント 「マルグリット」1870年
マルグリットとはフランス語でヒナギクの意味、この絵の少女が手でもてあそぶ帽子にふちどられている花。
実は同名の題の絵をモリスは17年前にパリで描いています、それのこれはボストン版、つまりアメリカで描いた絵
モデルの少女の、当時パリで最先端で流行していた編み込んだおさげ髪や、流行のドレスからパリ、パリジェンヌからの影響がアメリカに常に渡っていたと言うことがうかがい知れます。
この頃からパリ、パリジェンヌは世界のファッションの発信源だったのです。
そして一番驚いた展示、1920年代のジャン・パトゥのドレスの展示、なんと美しいデザインでしょう。
この春夏にあっても不思議ではありません。ローウェストで細くまっすぐなラインは動きやすく、シルクサテンや銀のバックル、ラインストーンもとても魅力的に映りました、後ろのデザインも素晴らしかったです。なんと100年も前のデザインとは到底思えないものですね。
クリストバル・バレンシアガ ワンピースに見えますが実はツーピースのカクテルドレス シルクタフタのモアレ なんと1949年
THE FUTURE IS FEMALE
日本初の民藝店「鳥取たくみ工芸店」ができたのは1932年のこと。今から遡ること86年前の話、戦争の足音がそろそろ騒がしくなりそうな頃と言えます。ここから新作民藝運動が始まり、その一年後には柳宗悦などの後援を受けて「銀座のたくみ」が立ち上がっています。
その最初の最初に作られていた新作民藝の、現代(当時の)のライフスタイルに合う器の始まりが、この「牛ノ戸焼」の染め分け皿だったのです。そしてこの皿は現在までも脈々と作られています。私が全国各地にある民藝の中でも唯一、80年以上も前でありながらもデザイン化されたクリエイティブを感じさせるものであります。民藝の先達たちはあえてこういうクリエイティブの匂いのするものを良しとしなかったように思えます、「平凡の中の非凡を良しとする思想や風潮、知的感情」があったからだと思える。そのモードの視点を持ってあえてそれを選んだのが造り手でもない吉田璋也というプロデューサーだったのではないかと言えます。その人が特別にお洒落な人だったから、その発見が際立っていて、あらゆるものに対する感受性が研ぎ澄まされていた。染め分けるデザインの手法とその釉薬からの色の組み合わせ、特にこの緑と黒の兼ね合いがクリエイティブを際立たさせる、この手法を本業とするところは、今では牛ノ戸焼窯と中井窯の二つがありますが、その始まりは牛ノ戸焼になります。まあ、うちの宝ですね。吉田さんの視点は今でも私の先生ですね、あらゆる視点の。
クリス・デイヴ もともとヒップホップのドラマーですよ。やばいテクニックです、時代はこういうイノベーターが変えていく。音楽っていいなぁ。最近ずっと聴いてますが、かっこ良すぎて。古いジャズばかり聴いていてもダメですね。ま、マイルスやロリンズ、コルトレーンは同様にその時代のイノベーターだったわけですからね。。。