7月13日からだけど、これは行きたい。柚木氏による解釈、なぜ今、鳥獣戯人画なのか。そして「雨ニモマケズ」どちらもうちの店にある、気になって。。



(作:宮沢賢治 絵:柚木沙弥郎)2016年
水彩、紙 公益財団法人泉美術館蔵
ART IS HIGHEST HOPE
7月13日からだけど、これは行きたい。柚木氏による解釈、なぜ今、鳥獣戯人画なのか。そして「雨ニモマケズ」どちらもうちの店にある、気になって。。
ART IS HIGHEST HOPE
リーチ・マグの親子、やはりかわいいですよね。とても持ちやすく、愛着のわく形が手に馴染みます。紅茶、ほうじ茶ラテ、玄米茶、ハーブティにどうぞ。MWL STOREは日常のお茶とその周りにある世界を売っています。
Like no other Made in England
清水寺に向かう、五条坂の陶泉窯さん、少なからずのご縁を感じています。まず自分は高山寺の鳥獣戯画にとても感心を抱いていたこと。六本木のミッドタウンにサントリー美術館がございます。2007年の暮れに開館しているのですが、その時の開館記念特別展が「鳥獣戯画がやってきた!」-国宝・鳥獣人物戯画絵巻の全貌-というお題でした。その時の図録も買っていてそれが残っています。サントリーさんはもともと「山崎」(ウィスキーの名前でなくて、場所のこと)から始まったようなもの、京都ですね、そういう意味でサントリー美術館として何を東京のど真ん中のミッドタウンに持ってくるか、というところで、やはり国宝の鳥獣人物戯画絵巻だったわけです。それに興味津々で行っていたわけでして、それがどうも僕のココロの底の深いところに残っていたというわけでございます。
そして、仁王門の「うね乃」さん、今の京都で出汁とうどんで、自分的には一番美味しい「うどん」といろんな人に伝搬しまくっていた自分です、京都へ行くと、このブログでの紹介もそうですが、ずっと、必ず行きます、必ずです。のうね乃さん、それが、最近教えていただいたことでびっくりしたのが、いつもうね乃さんに行くたびに注文していたカレーうどん、なんと、うね乃さんが、カレーうどんの器にと、陶泉窯さんに別注された、鳥獣戯画が鰹を削って、うどんを食べている絵になった丼だったのです、最近になるまで、何回も食べておきながらそれを知らず、うどんを見て、器を見てなかったのですねぇ、、、木を見て森を見ず、だったのですね。。陶泉窯さんにお教えいただくまで知らなかったのです。さらにMWLが創業の頃からお世話になっている、京都府舞鶴市の「真泥」さんの奥様、村山朋子さん、そのご両親とも陶芸家でいらして、お父さんの村山光生さん、が五条坂の陶器市に昔からよく出ておられたのですが(今はもう真泥さんご夫婦に代替わりしている)その時にいつも店を出していた場所が、なんと、なんと、ちょうど正に陶泉窯さんの真ん前で、いつも出されていたと、そして村山朋子さんは幼い頃によく、お父さんに連れられて市にきていて、その向かいにある陶泉窯さんの二階で遊ばせていただいていたという、、、全く、私は、うね乃さんに始まり、全てのことが、知らないことで、偶然に全てが繋がっていたという、、、なんともまぁすごい話なのです、しかも私が陶泉窯さんに初めて入ったのも、誰の紹介でもなく、五条周辺を隅々まで歩いていて、たまたま、あぁ、いい店だなぁと思って入ったお店だったのです、そして偶然見つけた「鳥獣人物戯画」に大騒ぎして、陶泉窯さんの奥さまにいろんなことをお教えいただいたのでございます。今更ながらすごいな、ひっぱられている。取り扱うべくして取り扱わねばならなかった、絵模様の「鳥獣人物戯画絵巻」なのでございまして、高山寺さんが引き合わせてくれたのでしょう、きっと、そうに違いない。
京都を歩いているとすぐに200年ぐらいのタイムスリップに出会う。
歩かなきゃです、旅をしなきゃです。いろんな街を、出会えることがいっぱいあります。うちの店は過去歩いた出会いで成り立っています。自分の目で確かめたことばかりです。知らないことを学びたい、教えていただきたい、ただそれだけです、それが楽しい、だからワークショップで色々な師に出会いたいと思っています。
女性作家の急須、二題。常滑の新しい時代の象徴的な二人の若い女性の作家さん。お茶を楽しもうという気持ちが伝わってきますよね。日常に変化。
MADE WITH LOVE STORE
Art is Highest Hope
ノース・フェイスのファウンダーであるダグ・トンプキンスとパタゴニアのファウンダーであるイヴォン・シュイナードはエル・キャピタン(ヨセミテの壁)を根城としていた頃からの盟友であった。その後二つの会社を興している。その彼らの若い頃の原点の旅とその後何十年も経ってからの再びの旅、180とは南米パタゴニア地方をカリフォルニアから見た位置付けの旅を指す。数年前にダグはアウトドアの帰途の途中に低体温症で亡くなった、イヴォンの寂しさを思うと。。。今やこの2社の影響たるや、特に日本、世界でも例を見ません。でもね、パタゴニアの一時期をモンベルさんが救ったし、ノースはゴールドウィンさんがそのクリエイティブを盤石なものにして今があると思います。2大ブランドと日本の切っても切れない関係の話です。でもzeroはアメリカから生まれている。ゼロから1にするむずかしさ。1から2、3、あるいは5には出来るんだ、あるんだな、要は何もないところ、つまりゼロから産むことのむずかしさ。それをファウンダーって言います。
昨日に引き続き「吉川雪堂」さんの急須のこと。常滑の急須に一目惚れ、ばかりしています。
来週は「父の日」お父さんだって、褒めて伸びるんです。褒めて欲しい。そんなお父さんに男性受けする急須を、大ぶりでたくさんお茶を飲みたいお父さんにぴったり、つるつるの表面が気持ちいい、どうしてこんなに綺麗な表面になるのでしょう、茶漉しの部分の穴は神経質なほど丁寧に一個ずつ開けた穴です、これだけでも技量の高さが見て取れます。急須を知れば知るほどこの急須が好きになる、沢山の種類が欲しくなってしまう、それが急須愛の始まりです。
横浜から湾岸線を走り、常磐道をひたすら北へ上がれば、益子である。
イギリス西部の陶磁器をずっと見ていますと、どうもそこにお互いの影響を受けあったであろう、陶磁器の生産地方である益子(ましこ)の存在が気にかかり、あらためて、現在の益子焼を取り扱いたいと思いはじめ、訪ねることに。間も無く、現在の益子を優れた表現と技術で継承する陶工の窯の取り扱いをスタートさせていただくことになります。三年来気にかかっていたことがようやくその端緒・物事の始まりにつくことができました。これもその出会いに感謝したいと思います。
商談した後、せっかくだから、その益子の創作の聖地でもあり、多大な影響を与えた、濱田庄司の「益子参考館」を表敬訪問し、思いを新たにしてまいりました。事あるごとに、駒場東大前の日本民藝館、五条の河井寛次郎記念館、そして益子参考館は訪ねて、芸術家が思いを馳せた民衆的創作への思いを新たに感じることを心がけています。それらを見続けているだけでも何かしら見えてくるものがあるように思えてならないのです。
益子のブラウンと益子のグリーンにとても興味を惹かれる、この色を基本に新しいものをいずれ紹介したい。