
8月 27, 2020
美しい青山通り。



いつもご贔屓をいただきましてありがとうございます。さて暦の上はすでに秋。今年の秋は何かと思う秋ではございます。今年もこの展示会の季節になりました。今年も72種類のクリエイティブが勢揃いしています。今年は本当にこの展示会が出来ますことを喜んでおります。ニューノーマル元年、お家で暮らすが、もう後戻り出来ないような状況になり、「家で食べる」ということがなんと尊いことなのかが改めて感じる今日この頃、もちろんその反面の極め尽くした外での食事の美味しさもまた知った、というか、腹落ちした今日この頃。これも大事なのですよ、美味しいのを家で作るには。。。
そういう意味で家ご飯の一食一食、一期一会の大切さを改めて感じています。今やいつ何が起こるか想定不能ですから。その時のなんでもない日々の主役はなんと言っても「茶わん」ではないでしょうか?何気に、意思もなく選んだ茶わんから、大事な一食一食のために、その創作に意思のこもる「茶わん」に変えて見るのもいいと思うのですが、この際に、如何でしょうかね。木曜からです。お待ちしてますから。。。




清澄白河の東京都現代美術館 今様ダ・ヴィンチと称される。つまり天才ということか。会期は実際は変更になっています。当初の作った時のまま、こういうものもチケットも変更せずに使っています。えらい、いい判断。無駄をせずに。まだやってます、でも人気なので土日は避けた方がいい。






大作「ひまわり」見てきたもので。。ガラスのジャー入荷です、アメリカのアンカー➕ホッキング社のガラスジャーとしてデザインが優れていると何十年も思っています。なんと今でもアメリカで生産し、再生ガラスを使用していますので、製造工程での型に入れての冷却をしますので、一見割れのような筋が、散見されますがそれは割れでなくて、製造工程上の「くせ」になります、ご理解ください。いずれにせよよくご覧になって納得のご購入をお願いしています。環境に優しい再生ガラス、ガラスは再生できますから。故にコスパが高いです。みんな見逃している製品だと思ってます。シリコンの縁もついてはいますがそれほど密閉性が高いものでもありません、アメリカ製の常ですね。でもいろんな用途には使えますよ、その性能や用途を理解して使うってことですかね。お願いします。


Made With Love な製品を。。。

少し前の話です。常滑の伝統工芸士「清水北條」さんの息子さん「清水小北條」さんと縁があって、私自身が彼のパーソナルヒストリーをとても気に入り、その性格やあえて二つ持つ仕事から学ばれているリベラルアーツな要素にどんどん興味を持ってしまい、また話すればするほど、その魅力的な人柄と繊細で大胆とも言える作風に惚れ込んで行ってしまったのでした。そして私どものためにお創りいただくことになり、それから小北條さんの急須だけは常に店頭に並んでいます。そんな小北條さんがある日、僕にこの旅に持って行ける急須を送ってきてくれて、プレゼントいただいたのです。まあその時の僕の喜びようはなかったと思いますし、少なくとも三回は跳んでいましたね、その時の事を今は表現できるものではありませんが、とにかく嬉しかった。煎茶を愛するものとして、茶を生業とする端っこに居始めた人間として、これらはとても嬉しかったです、今もこれを見る度に同じ思いが込み上げてきます。
僕は当時の仕事柄、年に4回ほど海外に行くことがありました。その時に同行できますよね、というのが彼からの「プレゼン」それがプレゼントだったわけです。まさしくそうなのですね、これがあればどこででも美味しい煎茶が飲めるわけですから。それ以来、旅する急須となったわけです。日々のハードなワークの中でどれだけ私を癒してくれたでしょうか。
歳の差はある二人ですがお茶を思う気持ちは一つです。


清水 小北條との急須の世界/ MWL STORE
熊本県玉名郡南関町の南関そうめん。これは特別です、すでに伝説。存在を知り、食し、とにかく・とにかくびっくりしました。完全手延べ、このコシの強さが、この細さで出るのかという。北原白秋先生愛好の逸品。先日の盛田の麺つゆに具沢山でいただきました。えもいえぬものです。明日も食べるなり。あぁ素麺よ。

Like No Other

茶人、岡倉天心は中区本町、つまり開港記念館あたりであるが、の生まれである、横浜に深い関わりがある。そして私が茶に興味を持ったゆえんの人であります。東京大学出身。藝大の前身東京美術学校の第二代校長でもありました。その後東京芸術大学(登記上は”藝”でなくて”芸”であるそうだ、一般には権威のイメージを含めて”藝”を使うことが多いようだ。)の設立に尽くした人でもあります。茶と美術、海外との開かれた心の接点、横浜ならではの背景から生まれる先取の精神と日本の折衷な精神の礎(いしずえ)を作った人だと思っている。原三渓などもその一人。横浜には横浜らしい人がいるものだ。三渓園の茶室など含め、あるいは当時の茶の輸出の拠点であったであろう山下町周辺など、浅からぬ茶と横浜の関係、実は深い。横浜は「茶と美術」で活かすべきであろう。
