バーンアウト

フロントカウルにはFIRST FREDDIE とある。

若くして誰も到達したことのないような偉業を成し遂げた人には往々にしてバーンアウト、燃え尽きたという、感情がやってくる。このフレディ・スペンサーという走りの天才、速すぎるが故に「ファースト・フレディ」と、ホンダレーシングのワークスグランプリライダーになる前から、ラグナ・セカなどでは呼ばれていた。童顔な表情に反してその技術は熟練の域にあった、幼い頃からの夢の積み上げだったから。英語ではフレディにはDが重なりそれも早く感じさせるものであった。本名はフレディではなくフレッドなのかも知れない。アメリカの人は愛称にこういう名前を付けることがあるから。

この写真から起したイラストは1985年に250と500のグランプリの年間ダブルタイトルを取った時のもの。両方ともツーストロークである、今はもう日本ではというか世界的にも随分前から環境問題的に生産中止になったエンジンであるツーストローク、立ち上がりの吹けが早い、タコが跳ね上がるんだ、市販車でそうだったから、レース車両などとんでもな世界。

今もそうだが、一番大きな排気量も小さな排気量も同じ日に決勝を行っていて、どちらかが終わればすぐに次のクラスのレースだった、フレディは年間を通じてその二つにエントリーしていて、圧倒的に勝ち続けていた、もちろん、その当時も今もそんな人はいない、二つの頂点のクラスで勝ち続けれる人など。どれだけ体力的に精神的に厳しいか、である。1時間少しのレースだが、バイクレースには毎回命がかかっている。今はバイクの技術が上がり、曲がる、も止まる、も飛躍的にレーサーバイクそのものが進歩した、この当時は、野獣のようなパワーを人が抑えつけていて、安全の技術はまだ二の次、まずパワーの時代だった。だからこそそれを、抑えつけて、後ろのタイヤをスライドさせながら、最終コーナーを立ち上がってくるフレディの姿は圧巻だったのである。

この年の年間ダブルタイトルはホンダにも象徴的に頂点にある、いろんなことがここを境に変わっていった。そして天才フレディはバーンアウトした。

なんとリアをスライドさせながらフロントをウィリーさせていると言うか、アクセル開いた瞬間に浮くのだろう。怖くて出来ないよ、ハイサイドでぶっ飛んでしまうから。とにかく鈴鹿にはよく来ていた、開発のために。