日曜の朝に行いました Les Prairies atelier asako さん、亜紗子先生のお花のワークショップの様子。秋です。フラワーはもちろん、リボンが素敵です。
あなたもお花のワークショップに参加してみませんか?
手にハナを、心にウタを。
MWL STORE
もう随分と時間は経ってしまいましたが。
「クリストファー・ロビンと100エーカーの森」つまりプーの舞台の森に2回行っています。ロンドンからクルマで南東へ2時間ほどだったと思う。これから現代版の映画「プーと大人になった僕」が公開されて、訪ねて行く人が増えることを期待します。本当に素敵なところだから、でも普通にひっそりと佇んでいましてね、その2回とも行った時でも観光客なんてものは一人も居なくて、地元の女の子を二人連れたお父さんが、プーと仲間達の絵を描いていて、それはさすがに地元の人、とても上手くて、なんてことをして毎日を生きているのですか!素晴らしい、と思ったものでした。川も橋も枝を流す場所もちゃんとありましてね。なんでもない普通の丘から川って感じでした。またね、日本みたいに案内とか看板とか、プーに関する表示は当時何もなくて、唯一、なんかスーベニール的なものを売る、小さなショップがあって、それに気づいて場所がわかったという、多分今もそんなに変わってないと思う、そんなことで変えないはずのお国柄だからです。プーはイギリスの話、それをディズニーが買ったのですね。元のしっかりした話があるから、素晴らしいものになった。
そしてロギンス&メッシーナ、この歌を歌っていた当時、ウエストコースト・サーフの世界においてロギンス&メッシーナは神のデュオ、サイモン&ガーファンクルでなくて、僕らはR&Mだった、だからこのクリストファー・ロビンを歌う歌は当時からプーの歌だと知っていた。そういうつながりの上で100エーカーの森には行っている。キャラクター的には”イーヨー”が一番好きかなぁ。
当時その100エーカーの森のある場所から少し距離のあるところにあった、小さなショップで買ったものです、今もうちの入り口にありますね。ディズニーのものでなくて作者ものです。
ロギンス&メッシーナ、フットルースのヒットを出す前のことになりますね。いい歌なんですよね、優しくて。
陶磁器の世界においても、洋服などと同じで、表現にはそのセンスというものがあります。
ほぼ天性のものです。知識や基礎は学びで習得することは年齢がいってからも可能ですが。
センスは無理です、いつの間にやら備わるものと理解する。そこに特別な人は生まれる。同じようにやっていても違うのです。それは他の人と同じように学び続けていた、来たとしても、目の付け所とか、受け止める感覚が違うように思えてならない。形、色、肌の触感にこだわる、それは土であり水であり、火であるという。土地と人もだ。急須という小さな宇宙に無限を見ている。
そして、それで美味しいお茶を呑むのだ。それは度会のお茶だ。
ありがたくも、同じ時代に居る若い天才の作品を買っておこう。
MWL STOREが選んでいる急須。
河井寛次郎と濱田庄司という民藝運動の二大巨匠が別の場所で同時に開催されていると言う、さすが東京は凄いな。それも世田谷美術館っていうところに意味がある。選球眼がすごいですからここ。
見応え充分な内容です。(写真撮影オッケーな箇所のみの引用)
有名な実話、15秒でかけ終わるのに、どうして何十万もするのですか?というインタビューアーの問いに対して、「確かに15秒だがこれが生まれるまでに六十年の知見がかかっている。」というような返事をしたと言う。
写真はありませんが、やはり、馬の目の皿の展示がありました。寛次郎展にも庄司展にも馬の目がリスペクト展示として瀬戸焼の。これはすごいな本当にすごい。国宝辞退と国宝がそう言うのだから、、江戸時代から続く日本の独特な模様と位置付けて、日本のスリップウエアだと言うのです。
民藝の巨匠展に行った後なので、やはり民藝の作品を随所に使用している。ざくろさんへランチ、美味しくて、昼もホスピタリティは完璧。満足です。このランプ民藝です。
有名な民藝用語「ようこそ」、と松本民芸家具が出迎える、なぜざくろさんは民藝なのかなぁ、理由が知りたくて。。。
これが美味しいです、トマサラ
後ろの生地は沖縄のミンサー織り、これも民藝。
価格を超える価値、それこそが民藝の真髄なのですよ。民藝の器たちが素敵。
食後に出る、ほうじ茶。始まりは煎茶、そしてほうじ茶へ、茶は日本食の基本。 器は益子焼の民藝。
寛次郎のものを何気にさりげなく飾っています、誰も気づいていないな、その価値。
モダンと民藝、今の時代の民藝っていくらでも進化できるはず、進化してこそだと思うんだけどなぁ。。。
この通路のランプ民藝です。
夏がひと段落し、ようやく行くことが出来ました。
素晴らしいの一言。
言葉がいいです、どれも
76歳にして没するまで、その創作意欲が生涯枯れることはなかったという。
(写真撮っていいというマークの付いているものだけ撮影)
みんな若いですね、こんな頃から皆お洒落な人たちですね、だから民藝は優れたものになった。
この時代にこんな格好で産地を廻られて来たら、、、ブルジョワジーの何ものでもない、そしてバーナード・リーチの影響以外の何物でもない。柳宗悦(やなぎむねよし)学習院から東大の哲学科という、貴族のような人、この当時の常でイギリスからの影響が濃い。金銭的に豊かであったことは確かだが、それよりも知性が豊かな人達の集まりだっただろう、それらを含めてブルジョワジーと申し上げる。今の時代なんかよりも遥かに情報が少ない中でここまで高めて来るには、いろんな人との往来や各地に出かけて行くことが重要な要素であっただろうと推察できるが、何よりも旺盛な自己探求力がそれらを成し遂げさせたと言える。民藝という思想がブレないのはこう言う思想にしっかりした人たちが礎になっているからに他ならない。だから魅力的なのだ、今の時代にこれらを継承する人たちはやはり基礎を積み上げる必要をこれらの先人の足跡を見ていると感じる、あまりに表面的だから。特に河井寛次郎の歩いた道は尊い、京都で色んな高いレベルの仕事を見ているからこそ、色んな推挙を辞退しているんだと思うし、謙虚な自分があるのだろう、京都には沢山のレベル高いものがあるからそうなのだろう。河井寛次郎にとって京都で生きたことはとても重要だったと思える。
松下翁の話
やはり、寛次郎も良いと思っていたんだ、だからずっと自分の周りに置いていたという、瀬戸の馬の目。
濱田庄司のところにも確かありましたよ。濱田庄司は人間国宝、濵田が国宝となったのは、この陶工の世界に陽があたる為にも、と考えたらしいと言う、河合とはまた異なる思想があるようだ。
MWL STOREには現在の瀬戸の陶工が端正に作った「馬の目」があります。歴史を紐解けば、馬の目に、おひとつは是非。現代のカップ&ソーサーがいいですよ、秋には。
文化勲章、人間国宝への推挙も辞退し、ただ陶工として生きた。