朝はバナナ一本にし、ひとりブランチへ。高島屋さんにあるウエストさんへ。
今日は僕の休日、この日を楽しみにしていました。


朝はバナナ一本にし、ひとりブランチへ。高島屋さんにあるウエストさんへ。
今日は僕の休日、この日を楽しみにしていました。
マルタン・マルジェラによるエルメス、「マルジェラ期」と呼ばれている、時代の先駆け的要素というか、シンプルで普遍的x違和感。自分のブランドとしての「マルタン・マルジェラ」も本人によるデザインは2008年頃までと言われている。名前だけが今も残る。6枚目の写真のノースリーブダブルジャケットなど、ここのところの傾向に普通にある。
1999 SS HERMES by Martin Margiela
月刊・新潮に「精神の考古学」を寄稿されている中沢さんとはこの方です。茅ヶ崎物語での登場と語りは凄かったねぇ。
横浜ダウンタウンにもツバメが戻ってきました。
イギリス製品
京都で購入、2種類の炭酸ガス圧があります。強い方はお酒などと割る、弱いのはそのままで料理などにという考えなのでしょう。二つ作るってすごい。水を京都から運んで、東京の工場でガス入れなのかと思われます。
「新しい色」のお茶わんで気持ちも新たに、スタートする。
気分を変えよう。
京都へ、桜、建築、仕事の旅。
大谷幸夫設計の京都国際会館は1966年に開館されている。その内装は56年経った今もなお評価され続けるもので、何よりも美しい外観と内装の印象は異なると感じる私ではある。去年に続いての訪問。日本のモダニズム建築。
そして、その京都国際開館の会議場向かいのプリンス、村野作品の秀作への滞在は2箇所目、一つ目は「志摩観光ホテル」だった。
村野は晩年まで、建築家は徹底して謙虚でなくてはならない、そう述べていた。資本主義のなかで、建築は勘定できる資本であり、たとえば銀行であれば預金、公共施設であれば税金が使われるのであるから、現代の建築は社会のものなのだ、という認識をつねにもっていた。それゆえに、「村野の作品ではなく、村野の関係した作品」であり、たまたま関係しただけの話であり、作品はやはり社会のものなのだ。そうした態度は、決してニヒルな気持ちから来るものではない。彼は続けてこう語る。「だから社会の人にたいして建築を大事にしなさい、愛しなさい、傷つけてはいけない、ということがいえる。それは村野を生かすためじゃないでしょ。建築自身を生かすためのものじゃないかと思います」(『新建築』1980年1月号より引用)と。
カンティレバーの名作として1920年代に発表された。ミースのセリフであるLes is Moreを具現化した名作であり、座ってみると微妙に上下するそのパイプ椅子としての特徴はとても居心地のいいものでもある。名探偵ポアロのストーリーでも、ハイソサエティの自宅のインテリアで出てきていて、待てよ、時代考証がおかしくないかと調べてみたら、なんとか同年代に生まれているものだった。そう、百年のチェアなのだ。かのY-CHAIR ですら1940年代後半の登場である、その30年近くも前に、パイプのカンティレバーを創造するという凄さがあります。今でも本家から20万ほどで購入できます。