これいいです。
灘の橋本先生の3年間かけて国語の授業で読み解いた話は有名ですね。
「心は自由であり、どのように動いてもいい」
「寛容さは教養がもたらす」
今日行ってきました、パリジェンヌと聞かば行かずにはおれませんね。
第三京浜で行けばあっと言う間に着きます。砧公園に隣接する世田谷美術館のセンスはさすがです。
気がつけば一日を過ごしていました、とても勉強になりました。
図録も良かったです図録デザインのセンスがいい。
ウィメンズファッションを志す人は必ずご覧になられることをお薦めいたします。
ウィリアム・モリス・ハント 「マルグリット」1870年
マルグリットとはフランス語でヒナギクの意味、この絵の少女が手でもてあそぶ帽子にふちどられている花。
実は同名の題の絵をモリスは17年前にパリで描いています、それのこれはボストン版、つまりアメリカで描いた絵
モデルの少女の、当時パリで最先端で流行していた編み込んだおさげ髪や、流行のドレスからパリ、パリジェンヌからの影響がアメリカに常に渡っていたと言うことがうかがい知れます。
この頃からパリ、パリジェンヌは世界のファッションの発信源だったのです。
そして一番驚いた展示、1920年代のジャン・パトゥのドレスの展示、なんと美しいデザインでしょう。
この春夏にあっても不思議ではありません。ローウェストで細くまっすぐなラインは動きやすく、シルクサテンや銀のバックル、ラインストーンもとても魅力的に映りました、後ろのデザインも素晴らしかったです。なんと100年も前のデザインとは到底思えないものですね。
クリストバル・バレンシアガ ワンピースに見えますが実はツーピースのカクテルドレス シルクタフタのモアレ なんと1949年
THE FUTURE IS FEMALE
日本初の民藝店「鳥取たくみ工芸店」ができたのは1932年のこと。今から遡ること86年前の話、戦争の足音がそろそろ騒がしくなりそうな頃と言えます。ここから新作民藝運動が始まり、その一年後には柳宗悦などの後援を受けて「銀座のたくみ」が立ち上がっています。
その最初の最初に作られていた新作民藝の、現代(当時の)のライフスタイルに合う器の始まりが、この「牛ノ戸焼」の染め分け皿だったのです。そしてこの皿は現在までも脈々と作られています。私が全国各地にある民藝の中でも唯一、80年以上も前でありながらもデザイン化されたクリエイティブを感じさせるものであります。民藝の先達たちはあえてこういうクリエイティブの匂いのするものを良しとしなかったように思えます、「平凡の中の非凡を良しとする思想や風潮、知的感情」があったからだと思える。そのモードの視点を持ってあえてそれを選んだのが造り手でもない吉田璋也というプロデューサーだったのではないかと言えます。その人が特別にお洒落な人だったから、その発見が際立っていて、あらゆるものに対する感受性が研ぎ澄まされていた。染め分けるデザインの手法とその釉薬からの色の組み合わせ、特にこの緑と黒の兼ね合いがクリエイティブを際立たさせる、この手法を本業とするところは、今では牛ノ戸焼窯と中井窯の二つがありますが、その始まりは牛ノ戸焼になります。まあ、うちの宝ですね。吉田さんの視点は今でも私の先生ですね、あらゆる視点の。
クリス・デイヴ もともとヒップホップのドラマーですよ。やばいテクニックです、時代はこういうイノベーターが変えていく。音楽っていいなぁ。最近ずっと聴いてますが、かっこ良すぎて。古いジャズばかり聴いていてもダメですね。ま、マイルスやロリンズ、コルトレーンは同様にその時代のイノベーターだったわけですからね。。。
国造焼が再び入荷しました。
民藝の聖地、それは紛れもなく鳥取県だと私は思う。今や既に伝説と言っていい「たくみ工芸店」の始まりがあり、鳥取民藝美術館があり吉田璋也を輩出したからです。
ここでそれを紐解くことはしませんが。それは間違いのない歴史であります。
今の時代何を持って「民藝」とするかには諸説あるだろうと思います、基本は人が手でその地で言い伝えられているものを現在に使いやすく、作りやすく、本質的に創作するということだと思います。鳥取から島根の山陰の海っぺり、今雪で大変なエリアには。焼き物で日本の魂に触れるようないいものが多い。不思議なくらい集中している、やはりお互いに影響しあっていることもあるのだろう。
そんな中でこの「国造焼」こくぞうやきであります、ここでもその歴史を紐解くことはしませんが、鳥取の倉吉市で作られています。私はこれらの作品群は今の民藝の中心にあるものだと思っています。土の感じ、釉薬の感じ、意匠、何よりも使い勝手、現在のライフスタイルに合っているか、そして大事な耐久性。これらの全てが全うされているのがこの「国造焼」だと思うのです。