六月で開業して五年でございます。去年と変わらずにだれにおいても大変な日常が継続しております。そんな中、五周年の節目を変わらずに迎えることができていますことをご報告申し上げます。いつもの言葉にはなりますが、ひとえに、お馴染みさま、お客さま、お取引先さま、ご近所さま、そしてスタッフのみなさん、のお陰でございます。ありがとうございます。いつもの京都徳力版画さまの絶大なるご協力によりお作りいただいていますメモの入った「十八番・おはこ」今度の木曜日から3千円以上お買い上げいただいたお客さまにお渡しさせていただきます。
「継続は力なり」の言葉のように、喜びではありますが、世を見渡せば、決して手放しでは喜べない現状が続く日々でございます。時節が許す折には何かできればと思います。リセンヌ通りで生まれ、育てていただいております。これまでの御礼、そしてこれからもますますどうぞよろしくお願い申し上げます。まずは何よりもこの店の継続にお力を、お添えていただいております皆様に、大なる、御礼と感謝を重ねて申し上げます。 MWL STORE 店主敬白
瓢箪(ひょうたん)と 無病息災のお話し
古来より日本には、伝統的な吉祥意匠(おめでたいモチーフのこと)が存在しています。鯛はめでたいを表す、そのようなことです。ここにあります「六つの瓢箪の絵柄」は「六瓢 むびょう=無病」に繋がり、健康長寿と家内円満をもたらす吉祥意匠とされています。
この話を、以前に徳力さんを訪問させていただいた折に、瓢箪柄があって、なぜ瓢箪ってよく出てくるのでしょうねって、お尋ねした折に、すぐそま、そのようにご返答いただきました。徳力さんに伺った折はいつも、雑談の中で膨大にある作品の謂れをよくお聞きかせいただいておりました。それが記憶の片鱗に残っておりました。
今年の絵柄を決める際にこのことを想いだし、今年の絵柄は必ず六っつの瓢箪で行こうとずっと思っておったのでございます。それをお届けしようと。心のどこか、何かの拠り所の一つにお加えいただければ、幸いでございます。
徳力富吉郎 読み:トクリキトミキチロウ ’Tokuriki, Tomikichiro’
版画家で西本願寺絵所12代目の徳力富吉郎は7月1日午後7時50分、老衰のため京都市左京区の病院で死去した。享年98。1902(明治35)年3月22日、京都市の西本願寺絵所を代々務める徳力家に生まれる。父が森寛斎の門弟であった関係で、幼少時より父の兄弟子にあたる山元春挙に絵の手ほどきを受ける。1920(大正9)年より京都市立絵画専門学校に日本画を学び、入江波光の指導を受けた。在学中の22年、第4回帝展に「花鳥」が入選。翌年の卒業後は土田麦僊の山南塾に入る。その一方、鹿子木孟郎の下鴨画塾にも通いデッサンを学んでいる。1927(昭和2)年第6回国画創作協会展に洋画的写実を取り入れた「人形」「人形とレモン」が初入選し、後者で樗牛賞を受賞。第7回展には日本画的な装飾性を生かした「初冬」「茄子」が入選し、国画奨学金を受ける。28年に国画創作協会が解散すると新樹社の創立に参加。また平塚運一の版画講習会に参加したのをきっかけに京都の麻田辨自、浅野竹二、東京の棟方志功、下山木鉢郎らとグループ「版」を結成し、同人誌『版』を創刊する。新樹社でも日本画とともに版画を出品。29年の第10回帝展に版画「月の出」が入選し、30年から33年まで春陽会にも版画を出品する。31年には麻田辨自、浅野竹二らと版画の大衆化を目指す版画誌『大衆版画』を発刊、二号で終刊となるが、その姿勢は以後も貫かれることになる。戦後は46年に版画製作所を興し、徒弟を養成して産業的版画の量産を始める。51年、京都版画協会を結成。版画工房を主宰。72年に薬師寺吉祥天像の複製版画、また85年に西本願寺西山別院の襖絵を制作している。80年には京都市文化功労者、1992(平成4)年に京都府文化賞特別功労賞を、96年日本浮世絵協会より浮世絵奨励賞を受賞。91年には版画普及のため京都版画館を設立。主著・画集に『版画随筆』(三彩社 67年)、『日本の版画』(河原書店 68年)、『徳力富吉郎画集』(安部出版 84年)、『花竹庵の窓から』(京都新聞社 88年)、『もくはん 徳力富吉郎自選版画集』(求龍堂 93年)がある。
出 典:『日本美術年鑑』平成13年版(236頁)
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