山下町から日本大通りにかけての東半分と山手町(今の海の見える丘公園を始まりとしたあたり)などの海沿いには旧居留地がありました。日本の文明開花、ハイカラ文化はここを始まりとします。日本が諸外国に正式に開国・開港の申し渡しをした地は、1854年和親開港の下田、同1855年の函館、そして正式な開港として1859年の下田から横浜への移管としての横浜、長崎。その約10年後の神戸、そのさらに1年後の新潟が、文明開花、開国の礎となる開港五港と呼ばれています。浦賀に現れた黒船は当時北太平洋で活躍していた米国捕鯨船の安航(安全な航海)のための、燃料の補給や食料物資調達、乗組員の休暇などのための通商を考えていたようです。国を攻めにきたわけでも植民地にしようとしたわけでもなかったわけです。この当時以降、横浜はお茶を輸出する重要な拠点港になりました。日本のお茶は横浜から海外へ。実は横浜港とお茶は深い関係があったわけです。「蒸気船と上喜撰」です。
横浜が開港してすぐに、横浜港からの重要な海外輸出製品は「お茶」になりました。横浜港周辺には伊勢地方を含めて全国などからも「荒茶」が集まり、横浜港周辺にたくさんできた製茶工場で仕上げて高級煎茶として輸出されていきました。そのくだりは横浜開港記念館に資料として存在しています。静岡の清水港が産地直結の港として明治後期に機能するまでの40年ほど、横浜港は重要な役割を持ったお茶の海外への輸出港だったわけです。横浜とお茶は深いかかわりがあったのです。伊勢山皇太神宮や伊勢茶の輸出拠点、横浜と伊勢は浅からぬご縁を感じています。
MWL STORE ORIGINAL’S お茶の名前を「蒸気船」としました。ペリー来航の「蒸気船」と、江戸時代当時、人気のお茶の商品名としての「上喜撰」を彷彿とさせています。横浜らしい名前になりました。横浜ならではの「お茶物語」。MWLのオリジナルのお茶「蒸気船」の中身は真に美味しいお茶、横浜らしい颯爽とした風の吹くお茶を ! と厳選され、伊勢の清流・宮川流域の大台町で栽培されるお茶をお願いしました。清流宮川と大台山渓の山々に囲まれた自然豊かな環境、日本有数の雨量、しばしば立ち込める深い霧、激しい寒暖の差。大台町はお茶の栽培に絶好の環境で、三重県内でも有数のお茶どころです。宮川はその源流を大台ヶ原までさかのぼります。源流の一滴は大台ヶ原から伊勢市内まで流れて行く豊富で伊勢ならではの清涼なる水源です。
遠く、この港や大海を超えて世界へ飛び立った伊勢茶へ思いを馳せて。
物語が存在するお茶「蒸気船」横浜土産にいかがでしょうか。
オリジナル煎茶:蒸気船 (じょうきせん) 45g 入り 972円税込