投稿日: 3月 13, 2022

小北條の美しい象嵌

カテゴリー: アルチザンな人たち

伝統を背負う人がいる。歴史ある産地に生まれ、生まれた時からその宿命にある。伝統に向き合うには、ただひたすら、創るという日々を過ごすこと。幼いころからその傍にいたはずで、それを見ていただろう。いつも何かを説明され、教えられるわけでもなくて、ただ居るという時もあっただろう。しかし、その時間が重要なのだ、伝統を背負うとは、いきなりではなくて、傍観している時代がとても大切なのではないかなと思う、芸術だけには限らなくて、経営にも、老舗の規模を問わずに存在するだろう。

この小さな急須の細かなところをじっと見つめていると、そう思うのである。丁寧な詳細の存在がある。なんと美しいのだろうと。ここまで来るにはとても時間がかかっているし、またこれを創るにも時間がかかっている。私はこの急須を見ていてそう思う。お茶を淹れる道具なのだが、決定的なものが存在している。

ものづくりには、社会を見ていることが大切で、その、それ以外を経験している美的感覚はだれにでも、最初から備わっているものでもなくて、経験を通じて育つ美的な感覚のあることを、私はこの急須を見て、思って、知っています。それはいつも謙虚さと共にある。

花をモチーフにした模様、象嵌急須、一つの象嵌の蓋を創るのに3~4種類の道具を使います。幸せなティータイムの象徴として、時間を過ごすためのものです。花をモチーフにした象嵌の模様が一番多いです。13,200円

手のひらにのせると、その美しさに圧倒される。
とても奇麗なのだ。ずっと見ていられる。
手元と口元が好きなのだ。
この茶漉しのカタチは一つ一つ手で空けていることの証明。柔らかい粘土を固めつつ、施す、穴と穴との距離は小さいく短い。なんということだろう。それを知ってしまうと、それが創られている時間に想いを馳せてしまうのだ。
どの角度からも美しいのだ。
付け根である。口先のキレである。