高山寺画の秀逸な徳利を二題

美しい徳利を二題、すべて手描きであります。本当に貴重であります。きっちりきれいにだけ仕上げるのではなくて、表現の中に多様性を感じる。この時代にこのように描けていることが素晴らしい。ここにあるからと言って当り前のことのように見ないでいようと思っていた。「三顧の礼を尽くして」お迎えしたい絵付けが行われていると、知れば知るほど思うようになった。京都に通う理由である。人と、他の歴史ある産地の方々とのお付き合いもそうであるが、商いの基本だと思っています。まず自らが通うことであること、それを大事にしている。通う数において誰にも負けたくはないのだ。

徳利の口先の中まで施されている絵、手描きの証。静かにその術で作品とたらしめる、数少ないタイミングに、良い時間を過ごすための酒器。
お酒を呑む。日本人にはとても大事なことだと思う。その時に使う酒器を大事に考える。他の酒類とは異なるのだ、これだけは。
清水ならではの土の色であること。
口先の金彩と繊細に施された絵の技法
この粒粒の肌と口の金彩、中にまで筆を入れた気持ちに、作品に向かい合う、五条坂の窯としての矜持(きょうじ)を見ている。
高山寺画の国宝を自分の手で写すという自負を持ってその任にあたっているとしか思えない。クリエイティブのユーモアがある、京都ならではの。
これらの芸術的な大作にスポットをあてずに、何にあてるという気持ち。
出会えて幸せである、ありがたい。

言葉表現は、あまりにも個人的想いが高まっていることをお含みおき下さいませ。個人の見解であります。それをどう思うかは受け取り手に委ねられます。ご自由です。が、またこの目と心はたくさんのものを見てきているのも確かです。そしてまだ今も学び続けています。行きたい、真に優れたものに、人に、「出会い」をもって、三顧の礼を尽くす。