
5月 17, 2022
俯瞰の時代

Xとはドイツでは4輪駆動車を意味していて、SUVのはやり特有のクーペやファストバックなデザインであっても、腰高であるというデザインをスポイルした違和感のある表情はなく、ワゴンのような旧い形でもなくて、それらのいいところどりなデザインは必然としての到達点にある。ということは、走りは腰高による不安定感のイメージもなくて、スタイリッシュに見える。ラテン系の国のこってりなデザインや北欧でもなくて、ここはドイツデザイン、バウハウスをルーツとしている。もちろんデザイン性は個人の好みではあるが。0-100は6.2で、重いバッテリーを多く積むとはいえ299馬力にしては早くはない数字。最高速も180キロとある、出せるはずなのに出していない。留めているように感じるのだ。さらに上級なグレードへのプライスラインを残しているのだろう。例えばGTX-Rとして、350馬力4.8秒などシステムの書き換えですぐ出せるだろう。まだそんなグレードはないがいつでも出せる。
クルマの価格は自動運転や自動安全性、環境対応(デンキ)を盛り込むことによって、以前の倍ぐらいの価格になっていく。そして価格の高騰に対して、納期はどんどん遅くなり、自分好みの装備など盛り込むと1年待ちなどざらである。そんな時代で新車が売れ続けることがあるはずはないと思うのだが、携帯のようである。スペックてんこ盛り競争、昔は日本のメーカーが主役だったが今はない。唯一ソニーだがシェアが低い。アップル=テスラ、サムスン=ヒュンデという、自動車が電気への置き換えにより、市場主役の交代が進むようにも思える。テスラの持つ豊富な市場資金がやがて、M&Aを加速させすべてのグレードのラインナップを果たして総合電機自動車メーカーになるという図式と、勃興している中国製電気自動車はまず、バスとトラックの公共性の高い市場の占有率を高めていくことになりえる。その背景は技術的にも見えてきている段階にある。とにかく中国での必要な台数が国内消費だけで多いから、それらの価格が安くなり、技術性も今やデザインも優れている。そんな先のことでもなくて5年ぐらいで見えてくると思う。携帯がそうであったように。だから故にSONY+HONDAはそれがどうなるかはわからないが、唯一のすがりつきたい事案ではある。ソニーの存在が大事なのである。すでに中国市場におけるホンダの電気車の販売は新車を投入しても陰りがある。内憂外患が心配な日本。日本経済、まだ自動車がキホンにあるから。どうなるのでしょうね。
投稿日: 5月 10, 2022
白雲窯の窯は薪窯(まきがま)独自の西洋式焼窯である。その燃料は旧くなった住宅などの解体により出てくる廃木材(昔の旧家からは良質な木を使っていることも多く、燃焼にはよいらしい)を主体として使っている。私はカーボン・オフセットの観点からもとても興味深いと、5年前に初めて訪問しお聞きした時から思っていました。
人間の行動にはどうしてもCO2が発生する、現代社会では人が生きているということがそうなのだから。電気、ガス、自家用車、物流、モノの生産、どの場面においても発生する、これは停めることはできない。出来ないのならば、プラスとマイナスで何十年かかけてゼロに近づける行為というのがカーボンニュートラル、そして近い言葉のカーボン・オフセットとは、人間が生きる上で削減しつづける技術を進化させてもどうしても出してしまうCO2をZEROに戻す埋め合わせする行為・行動を別の次元からも持ってくることを広い定義で言います。直近の理論ではLCA(Life Cycle Assessment)の思想と密接に関係、影響するものです。最終的にはすべての場面、過程におけるものの数値化と見える化によって全体最適を構築していくことです。
ここではカーボン・オフセットの思想に近い考えがあります、廃木材を利用した窯の焼成です。そこには森林を伐採した木(間伐材などはまた別の定義になるが)を使っていないのでオフセットの数字になると考えられて、本来なら森林を切った木を使うことになるからです。森林の木はそのままに植わっているとCO2を吸収する効果があります。
廃木材もそのままなら、廃棄され、焼却されていて、あるいは意識の高い自治体においては、粉砕され、新たに合板を創る材料になったり、あるいはガス発電所の燃料用のチップになったりもしています。が、そこでも再生するために、最終は発電所が電気を発生させるためにCO2が発生します。
薪窯でも燃焼するとCO2を発生させますが、燃焼させるのに、家として長年使われ役目の終わった廃木材を使うと、薪となる木を森林からあらたに伐採させてはいないので、そこではカーボン・オフセットつまり埋め合わせが行われていることになります。電気、ガス、重油などを窯の焼成には使っていないこともそれにあたり、実際はそれら全体の行為の各地点を数値化・見える化することによって、イメージでのグリーン化でない、全体のライフサイクルの循環、生産から廃棄までのプロセスの見える化・数値化、それがLCA(Life Cycle Assessment)の思想になります。コカ・コーラのペットボトルの論議から始まりました。環境には、ペットがいいのかガラス瓶のリターナブルがいいのか、ということで、その評価はイメージが先行し、ガラス瓶がいいように思えるが、実は各地点の数値化を見える化しなければ、結論とし到達はしないということがわかった。特に欧州の企業ではその導入が顕著です。今後の欧州の電気自動車EVの生産の指針はそれを重視しています。VW、メルセデス、BMW、プジョー、ルノーなど。
私はこれら一連の過程は、SDGsにおける目標の、13番目の「気候変動に具体的な対策」をという重点目標に位置づけられると考えています。あるいは12番目の「つくる責任つかう責任」を考えた場合において、そういう思想を是とする思想がこれからはモノが選ばれる「重点」になってくると思っています。ライフ・サイクルがどうなっているのかがとても大事だと言えます。陶磁器の生産の現場でも無縁ではない。アーティスティックなピースも例外ではない。
(書きかけの文章で今回はここまで、次回は薪窯の創造性について、続きます)
やはり若い時にかっこいい人は、美しく老いておられるのだ。
シーズンの終わりは大切である。冬のシーズンの終わりは次のシーズンの入口、流行とは途絶えるわけでなくて、繋がっている。だから前の同じシーズンの終わりの傾向は注視している。突然新しいものが生まれることなどほぼなくて、必ず前のシーズンからの流行の兆しがあって、それが立ち上がって行く。冬は冬の終わりから冬の入口に繋がっている。
世の中には年齢などに関係なくて、センスの良い人はいる、その人たちが流行の兆しを生み引っ張っていく。溢れる情報の中からどう見つけることができるかにある。センスはそのほとんどが先天性ではなくてたくさんを見ることによって備わる後天性のものであるというのが持論です。つまり「学び」なのである。
アップルが現代自動車と組みEV車を開発しているという噂が消えない中、北米におけるトヨタに次ぐ日本企業としてのホンダの存在や販売台数は日本の国家としてとても重要なところでありマーケットでもあります。解として浮上するのが先日のSONY EVと HONDAが提携したら最良という考え。別会社が必要だろうが、ここ数年でEVとブランド力という点においてお互いの利害が一致できうる最良のパートナーとしてお互いが認めあえるJAPAN であると想像します。それくらいこれからの自動車にとってエレクトロニクス関連の搭載が大事、自動運転などなど。ソニーとホンダならばお互いがイーブンな関係が築けるようにも思う、アップルと組むということはどうしてもアップルが主になり提携先は下に入ることになる、ブランド力が桁違いだからだ、どこと組んでもそうだろうアップルは。そういう点において日本の未来10年を考えるとSONY と HONDAのしっかりとした提携、日本の未来はそこに解があるように思えます。難しい諸問題を超えて行かねばならないが、とても希望の持てるコトでもありませんか?SONYにHONDAが付くとタッチは作れる。クルマの名前はSONYネームで出した方がいいと思いますがね。とても新しさがあるから。