ウオルトさんはプレゼンに長けた方でした。これはアナハイムのディズニーの開業10周年を迎えてこれからのディズニーワールドのプレゼンをしているわけです。ここからは想像ですが、スティーヴ・ジョブズ(アップルコンピューターのファウンダー)パロアルトの少年だったスティーヴは幼い頃にこのようなプレゼンを見て、脳裏に刷り込まれているはずなのです、彼の数々のタイミングにおける優れたプレゼンはこのウオルトさんのいろんな場面のプレゼンにとても良く似ている。影響を受けている。その幼い頃に脳に刷り込まれている原体験がピクサーという会社を生むことになったと僕は思って信じて疑わない。そしてその後のディズニーとの関係を思うと、間違いないなと思うわけです。日本でも私の小さな頃にディズニーランドという1時間番組をやっていたのです、プロレスと隔週の交互だったように、それも金曜日夜8時(我ながらよく覚えていますね、それぐらいに鮮烈に記憶に留まった)プロレスだから日本テレビ、宝塚では読売テレビと言ってました。そのディズニーランドという番組はディズニーアニメと動物のシリーズ、ナショナルジオグラフィックという雑誌がありますよね、あれの映像版見たいなのをすでにその当時やっていました。それがとても楽しみで、プロレスよりもディズニーランドがとても楽しみだったのを覚えています。そのテレビ番組としてのディズニーランドの始まりはやはり、シンデレラ城の上に上がる花火とピーターパンの妖精でスタートでした。このメアリー・ブレアさんのディレクション・ドローイングによるイッツ・ア・スモールワールドはアナハイムのディズニーランドで1966年5月28日に始まりました。東京(千葉・舞浜)にTD Lができるまでにまだ18年ほどあったわけですね。話は飛びます、その私がまだ小さな頃、宝塚には宝塚ファミリーランドという施設がありまして、イッツア・スモール・ワールドから影響を受けたアトラクションがあり、家がすぐ近くだったので、それによく乗りに行ったのを覚えています、もちろんそれはさらにスモールだったわけですが、その当時は京阪神急行電鉄、つまり今の阪急の経営だった。動物園、植物園、大プールがありました。そう、東宝の撮影所も、宝塚映画と言ってました、ゴジラシリーズとか若大将シリーズという加山雄三さんの映画を撮っていたようです、まだ小さい頃だったから親づてに聞いていた話の記憶ですがね。これらの体験はとても自分の形成に影響しています。今はその施設は全て無くなっていて、宝塚音楽学校などの歌劇の施設になっているようです。さらに想い出ですが、宝塚小学校では定期的に映画の観賞会というのがその頃ありまして、大劇場(宝塚大劇場、歌劇の舞台)で映画をみていたのです、生徒が全員で行く、それはウオルトの映画、眠れる森の美女、シンデレラ、、、、だったミッキーもあったのかも知れませんがどちらかと言うと、もっと物語もの、動物映画もあったかも知れませんが、眠れる森の美女の怖いシーンやシンデレラの悲しいシーンが怖くて見れなかったのを子供心に覚えていますね。今じゃ大劇場はそんな使い方はしないでしょうが。でもよくそんなことができたなぁって今じゃ思いますね、版権の問題とか大劇場を使うとか、日本が駆け上り始めた時代の象徴だったのかもですね。だから今でもメアリー・ブレアの絵には特別な感情があるのです。そしてイッツア・スモール・ワールドの歌にも。
8月 27, 2020