てなわけで、五木さん由縁の場所へ、「金沢五木寛之文庫」へ、2階になる。まず全くもって驚いたのはウィーン分離派の世紀末様式の秀作:ヨーゼフ・ホフマンのチェア、フレーダーマウス(こうもり)が二人掛けと一人掛けとテーブルでセットであり、目が点になり、なぜ突然、フレーダーマウスなんだ?こんな高い椅子をいくつも使っている?そして一階にあった曲木の椅子たちも、シートの貼り地から、これは世紀末様式と思い、裏返し確認すると、トーネットのもの、つまり本物だった。それにしても2階のホフマン全開には驚きを超えて、目が点だったのだ。
まぁ、そのなぜウィーン分離派に至るのか?をしばらく考えを巡らすと、五木さんとの関係か、と思い始めた、あるいはご本人の意思かな?とも。そう思うと早い、たくさんの英知が集まる脳になる。
つまり、懐かしい記憶を思い起こせば、五木さんの秀作「哀しみの女」である、ウィーンを舞台にした、まだ売れない画家とその才能を見つけ育てた女の物語であった。はたと、そこに想いが行った。あぁあれか、である。マーラーやヨハン・シュトラウスなどの名曲の数々とともにある小説そのものの舞台、そこはウィーン、ウィーンと言えばウィーン分離派の仕事と、この椅子たちも納得の落としどころの自分なのであった。書くと一万字以上になるので、はしょる。(椅子の写真を撮りたかったが、二階そのものが撮影禁止だったのだ)