ウィーンの世紀末

てなわけで、五木さん由縁の場所へ、「金沢五木寛之文庫」へ、2階になる。まず全くもって驚いたのはウィーン分離派の世紀末様式の秀作:ヨーゼフ・ホフマンのチェア、フレーダーマウス(こうもり)が二人掛けと一人掛けとテーブルでセットであり、目が点になり、なぜ突然、フレーダーマウスなんだ?こんな高い椅子をいくつも使っている?そして一階にあった曲木の椅子たちも、シートの貼り地から、これは世紀末様式と思い、裏返し確認すると、トーネットのもの、つまり本物だった。それにしても2階のホフマン全開には驚きを超えて、目が点だったのだ。

まぁ、そのなぜウィーン分離派に至るのか?をしばらく考えを巡らすと、五木さんとの関係か、と思い始めた、あるいはご本人の意思かな?とも。そう思うと早い、たくさんの英知が集まる脳になる。

つまり、懐かしい記憶を思い起こせば、五木さんの秀作「哀しみの女」である、ウィーンを舞台にした、まだ売れない画家とその才能を見つけ育てた女の物語であった。はたと、そこに想いが行った。あぁあれか、である。マーラーやヨハン・シュトラウスなどの名曲の数々とともにある小説そのものの舞台、そこはウィーン、ウィーンと言えばウィーン分離派の仕事と、この椅子たちも納得の落としどころの自分なのであった。書くと一万字以上になるので、はしょる。(椅子の写真を撮りたかったが、二階そのものが撮影禁止だったのだ)

 

小さいけれど銀行の建物だったところを利用。
横浜にもいい建物がいっぱいあるけれど、、、、、、、、
ぜんぜん関係ないけど、いいね、当然大都会もなのだけれど、東日本震災や今回のコロナという背景をうけて大都会では予算はつきにくいのだろう、今でも大都会でもよくある、嵐の夜の停電や都会型の大地震の時の電源確保という意味がある、大事な基本インフラ政策なのではあるが。。。そして見てくれね。金沢はがんばってらっしゃる。