投稿日: 4月 22, 2022

東北へのまなざし

カテゴリー: Liberal Arts

岩手で見るべきなんだろうけどなぁ、この時期行けないから、この後に巡回展示されてくる、東京駅のステーションギャラリーで見ます。

1930年代から1945年にかけ、先端的な意識をもった人々が相次いで東北地方を訪れ、この地の生活や文化に注目しました。仙台で工芸指導をおこなった建築家のブルーノ・タウト、東北を「民藝の宝庫」と呼んだ柳宗悦、山形の自然素材を調査したシャルロット・ペリアンらがその一例です。また、青森で「考現学」を実践した今和次郎と今純三や、農村漁村の情景を記録した福島の画家・吉井忠といった東北出身者たちも、故郷の人々と暮らしを見つめ直し戦中期の貴重な記録を残しています。こうした東北に向けられた複層的な「眼」を通して、ここに今も息づく営みの力を改めて。

投稿日: 4月 21, 2022

ウエストでブランチ

カテゴリー: Liberal Arts

朝はバナナ一本にし、ひとりブランチへ。高島屋さんにあるウエストさんへ。

今日は僕の休日、この日を楽しみにしていました。

朝と昼が合体してブランチ たまごとハムのサンド、白パンを焼きを強めにトーストとしてもらった。紅茶はアイス・ロイヤルミルクティー
サンド食べ終わる頃にパンケーキを一枚追加する、一枚と言ってもどデカな一枚なのです。

投稿日: 4月 16, 2022

1999

カテゴリー: Liberal Arts

マルタン・マルジェラによるエルメス、「マルジェラ期」と呼ばれている、時代の先駆け的要素というか、シンプルで普遍的x違和感。自分のブランドとしての「マルタン・マルジェラ」も本人によるデザインは2008年頃までと言われている。名前だけが今も残る。6枚目の写真のノースリーブダブルジャケットなど、ここのところの傾向に普通にある。

1999 SS HERMES by Martin Margiela

たてながというかハイウエストにタイトな感じはここんところのウィメンズの傾向ですがこれほど洗練されたものをなかなか見れない、でもアーカイヴスを紐解けば辿り着くのです。ステラやフィービーのセリーヌにその後の影響を与えたのは間違いないのであります。世紀末のデカダンスだったマルジェラによるエルメス。
今年の傾向のジレなジャケットベスト、リソースはマルジェラだった。
これもそう、ロングベスト
Avant-garde meets Conservative 服の歴史が変わった瞬間。

投稿日: 4月 16, 2022

月刊・新潮

カテゴリー: Liberal Arts

月刊・新潮に「精神の考古学」を寄稿されている中沢さんとはこの方です。茅ヶ崎物語での登場と語りは凄かったねぇ。

中沢さんの語りの部分もあります。

投稿日: 4月 10, 2022

山崎の水

カテゴリー: Liberal Arts
サントリーらしくボトルデザインが秀逸、ガラス瓶です。定価300円

京都で購入、2種類の炭酸ガス圧があります。強い方はお酒などと割る、弱いのはそのままで料理などにという考えなのでしょう。二つ作るってすごい。水を京都から運んで、東京の工場でガス入れなのかと思われます。

投稿日: 4月 09, 2022

只今開催中の新生活フェア

カテゴリー: Liberal Arts

「新しい色」のお茶わんで気持ちも新たに、スタートする。

Les Prairies atelier asako さん、亜紗子先生のお花はいつも素敵でうっとりです。スタートにふさわしいお花を選んでいただいています。

気分を変えよう。

投稿日: 4月 06, 2022

大谷幸夫と村野藤吾

カテゴリー: Liberal Arts

京都へ、桜、建築、仕事の旅。

大谷幸夫設計の京都国際会館は1966年に開館されている。その内装は56年経った今もなお評価され続けるもので、何よりも美しい外観と内装の印象は異なると感じる私ではある。去年に続いての訪問。日本のモダニズム建築。

そして、その京都国際開館の会議場向かいのプリンス、村野作品の秀作への滞在は2箇所目、一つ目は「志摩観光ホテル」だった。

楕円の形状 プリンスホテルの中でも名作中の名作と私は位置付ける。

村野は晩年まで、建築家は徹底して謙虚でなくてはならない、そう述べていた。資本主義のなかで、建築は勘定できる資本であり、たとえば銀行であれば預金、公共施設であれば税金が使われるのであるから、現代の建築は社会のものなのだ、という認識をつねにもっていた。それゆえに、「村野の作品ではなく、村野の関係した作品」であり、たまたま関係しただけの話であり、作品はやはり社会のものなのだ。そうした態度は、決してニヒルな気持ちから来るものではない。彼は続けてこう語る。「だから社会の人にたいして建築を大事にしなさい、愛しなさい、傷つけてはいけない、ということがいえる。それは村野を生かすためじゃないでしょ。建築自身を生かすためのものじゃないかと思います」(『新建築』1980年1月号より引用)と。