デザインモリコネクション展 開催中

動物オーナメント 1964年発表 森 正洋 今見てもなんというモダニズムだろう。
これらの「森デザイン」が生まれたのは日本が圧倒的な成長に沸き始めた頃。まだmonoが不足していた時代、ここで言われている多くの人々というのは工場に従事している人であったり大衆であったわけで、それをいかに価格を抑えながら、量産化して、量的な普及に務めること、そして産地に潤いと作っている人の幸福をもたらすこと、さらにそこには、毅然としたデザイン哲学が存在するという、日常使いの中に存在するデザイン、それぞれの相反する要素の追求。工場で多くの人たちが関わり生産するのに、ちゃんとアートな手がかかる部分を残しているところとか、平めし茶碗が全くそうで、いまだに人が描いているものがあるのだから。先日見たバウハウス展の中でも同じような思想の部分の解釈を見た。美しいデザインがいっぱいあった、もうモダンというのは、ほぼこの時代に出尽くしていたのだなぁとバウハスのデザインを見ても思っていた。プロダクト、フォント、グラフィック、それぞれのデザインはこの当時で出尽くしているんじゃないか、これらに学ぶところがまだいっぱいあるんじゃないか、本当にこれらを見て学んでいるのか? これら以上に優れたデザインって何なのだろうって。是非バウハウス展をご覧いただきたい、まだやっているので、残り少ない期間だけど。グッドデザイン賞を112個持っている個人ってまぁいないです。また新聞や雑誌に取り上げられることがなくなっているけど、是非取り上げて欲しい、まず周辺から学んでから、バウハウスやミッドセンチュリーですね、どうしてそれらが出てきたのかというところから。

この写真の森先生がちょうど僕が会っていた頃2003年前後だ。辛口だった、でもユーモアたっぷりな表情も見せて。デザインに対して、いろんなたとえ例を街中の事象、つまりリベラルアーツ、社会潮流から引用して話されていたのがとても興味深くって、あらゆるデザインについて話されていたように記憶する。その時にファッションだなぁ、って思ったのです、モノは充足してしまってもうずいぶんな頃だったけれど、何が足りないってファッションという視点(生活用品の)だろうと、その時に「森デザイン」を俯瞰して見た時にこれはファッションだろうと思ったのですよ。この当時それからですよね、ファッションの店に食器だったり、家電だったりが始まったのは、今や当たり前になってますけどねその頃は数店しかなかった本気でやっているところって。バウハウスとイームズと森デザインは似た思想が流れていて、それは工場を使うというところ、モダニズム、そして大衆、そこが民藝と反価(反対の価値)にある部分だと思う。ワシリーチェアはパイプを工場で曲げているし、イームズハウスの積層合板の壁面などは工場で作ることが生産性と価格に貢献した、(ヘーベルハウスの考えや無印良品の家の考えはそれらに影響を受けていると推測する、つまり生産性と強度とデザイン、つまりモダニズム)その中にどれだけデザインを入れるかということで、そういうモダニズムの矛先のきっかけを見つけた人達なのだと思う。